2011年06月07日

NOTHING TOO LATE


りょうまくんと話してて楽しいのは、彼が意識せずに仕込まれているニュージーランドの学校教育がかいま見えるからだ。

 

以前りょうまくんが言ったのは”Nothing Safety” だが、今日話してて新しく出て来た言葉が”Nothing too late ”だ。英語が26文字しかないからワンフレーズにしやすいのかどうか分からないが「何をするにも遅すぎることはない」という言葉にも実にうなずける。

 

てか学校でそうやって先生が子供に教えて子供がそれを信じて実行しているところが良い。子供を本当の意味でのびのびと育てようとしているのがよく分かる。

 

この子たちは建前と本音がない。言われたことを素直に受け取り素直に信じて行動する。日本でそんな事やったらバカって言われそうだが、子供を素直に成長させる教育において裏表を教え込むようなことに比べればどっちがバカだかと思う。

 

日本では「こういう事はxx歳から教えなくちゃいけない」とか「xx才になってこんなのやってるなんておかしい」とか「xx才から始めるなんてみっともない」とか、とにかく年齢で相手の行動を縛る。周囲と同じ行動をとらせようとする。

 

けどニュージーランドではそんな事、誰も考えない。いくつになっても何でも出来る、人々は心の底からそう信じているし実行している。

 

ニュージーランドは様々なモノがない。あっても日本と比べると3倍くらい高い。持って帰って使うとすぐ壊れる。壊れたものを店に持っていくと「あ、そ、じゃそこにあるから他の持ってっていいわよ」で終わり。

 

今の日本で生活をしている人からすれば信じられない事ばかりであるが現実である。家具とかだと買っても商品届くまで2カ月待ちとか普通だし届いたら色が指定したのと違う。また送りなおして数か月と言うのがざらである。

 

それでも人々は何の問題もなく生活をしているし、幸せとか満足度で言えば間違いなくニュージーランドの方が日本より豊かである。

 

「なんでよ!なんでコンビニない生活が豊かなのよ!」と怒る人には耐えきれない生活かもしれないが、実はコンビニって生活の根本的なところには何の影響も与えない些末事なんだよね。

 

朝から晩まで働いて家族のためとか会社のためとかお為ごかし、結局誰もかれもが物質は豊かになったけど心は貧しく人々がいがみ合い礼儀知らずになり(これは今回の東京でしみじみ感じました、人の心がどんどん狭くなってます)、結局いつのまにか幸せになるための手段が目標になってしまった。

 

モノが揃ってしまった今、ふと気づくと「最近家族全員で一緒に食卓囲んだのはいつかしら?」とか「あ、明日もまたあの会議とあそこで打ち合わせ、それにあれとこれとだから自宅に帰れるのは何時かな、子供の料理だけ作っておいてチン出来るようにしなくちゃ」となり、結局子供の寝顔を見ながら「何だか最近、あんまり幸せじゃないよね」って思ったりする。

 

結局これも日本の政策として常に前進前進、対前年何割増収、とにかく成長しないといけないという神話に取りつかれてしまい、今自分に必要なものは何かってのを失ってしまった結果だと思う。

 

国家が方向性を作り民間企業はその方向に従い人々は上司の命令に従い行動する。そして彼らにサービスを提供する人々も同じような方向性で「成長ありき!」「増収ありき!」「負けられません、勝つまでは!」と言う社会の方向性に抵抗出来ず、成長と言う錦の御旗を掲げられると誰もが「はは〜、失礼いたしました〜!」となる。

 

そりゃそうだ、そうしないと今の日本では「あの人、ちょっとおかしい?」と言われるのだ。

 

その意味でニュージーランドは「足るを知る」がまさに現実として毎日の生活の中に普通に存在する。だから誰もがモノがなくても気にしない。うちの自宅も年に3回くらい停電するが誰も気にしない。そんな夜は蝋燭をつけて「今日はキャンドルナイトだ!」と笑って楽しめる心の余裕がある。そして同時に、いくつになっても挑戦する気持ちを持っている。

 

けれど多くの日本人は「え〜?そんな国があるの〜?ふーん、けど私には無理だな、xxだから、xxだから」となる。

 

ところがキーウィにはxxがない。行きたいと思ったら行く。足るを知る国民性ではあるがやりたいと思ったらすぐ実行に移すのもこちらの人々の特徴だ。

 

アノソニー・ホプキンスが老主人公を演じる「世界最速のインディアン」と言う映画がある。

 

1960年代、ニュージーランドの南端に位置する田舎町インバーカーギル。独り小屋に住む67歳の男バート・マンローは、オートバイ1920年型インディアン・スカウトの改造に日々勤しんでいた。彼の夢は、ユタ州ボンネビル・ソルトフラッツへ渡米し、その愛車で世界最速記録に挑むことになる。

 

この映画を観た普通の日本人は「ほー、すげえなあ、こんなじいさんでもまだ試合に出るのか?」と思うが、やってる本人は年齢なんて関係ないのだ。気にしているのは周囲だけで本人は無関係。

 

何をするにしても遅すぎるという事はない。それはやらない事の言い訳でしかない。

 



tom_eastwind at 13:04│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 移住相談

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