2011年06月14日
チェルノブイリネックレス
三国同盟再びか?福島原発事故を受けてドイツが脱原発に方向を切り替えたことは周知の事実。そしてイタリアでも国民投票で原発反対となった。そして今の日本の方向性も反原発派が日本中を席巻しているので、こりゃまたも三国同盟かな、イタリアなんて入れてると勝ち目ないぞと思わず笑った。
★記事開始
自民党の石原伸晃幹事長は14日の記者会見で、イタリアの国民投票で原発反対派が多数だったことについて「あれだけ大きな事故があったので、集団ヒステリー状態になるのは、心情としては分かる」と語った。福島第一原発事故を念頭に置いた発言で、表現が不適切との批判が出そうだ。
石原氏は「反原発と言うのは簡単だが、生活をどうするのかということに立ち返ったとき、国民投票で9割が原発反対だから、やめましょうという簡単な問題ではない」とも述べた。
★記事終了.
親父の背中を見ながらなんとか前進しているけど基本的な情熱や能力が不足しているから国政レベルでは誤魔化しようのない政治家としての勘の悪さ+状況判断ミスが目立つお兄ちゃんが、今回は「集団ヒステリー」で親父の真似をしている、言わんでもいいことを(笑)。
記者受けする大向こうを狙ったにしては落としどころが悪いし狙わずに言ったのなら安保単。全体の趣旨はまともなんだから大向こうを狙わずに言葉を選んで一つ一つ石を拾っていけば親の名前があるんだから自民党総裁程度なら勝ち目があるものを、やっぱりこれも「親父症候群」か。
何とか「石原の息子」ではなく「おれ、石原」と言いたいのだろうがな〜甘ちゃん(笑)、トヨタの家系見てみろよ、個人ではなく家名を守っているのだぜよ、こういうのも「能力ないけど名前ありにはOKかも」だくらいに考えてみればどうだ、どうせ本人だけでは先がないのだから。
今回もどうせ指摘するなら「イタリアは原発を停止してもお隣の陸続きのフランスの原発から電気を買える。ドイツもフランスから電気を買える。つまり自国で原発を停止するってだけで実態はフランス原発で今まで通りにドイツの工場でベンツが作られてイタリアのレストランで美味しいパスタが食えるのだ」
そして「フランス原発が吹っ飛べば狭い欧州どこにも死の灰は降る、結果は同じなのだ、こういう状態の欧州と他国から電気を引っ張ってくることのできない日本を同列に語ることは出来ない。三国同盟では前回も負けたし今回も勝ち目はないのだ、今回は独自のエネルギー政策を考えないといけないのだ」くらいに言えばかっこ良いものを、学生の頃にきちんと歴史や政治を勉強して基礎知識を積んでいないから記者の前でこういう言葉がさらりと出てこない。さらりと出てくるのは自分の脳みそで思いつく女性をイメージした差別用語的な「集団ヒステリー」であるから語彙の少なさがばれる。
それから「集団ヒステリー状態」と呼ぶのは結構だが、それを政治家に言われちゃ終わりよって笑ってしまうのもこの記事の面白いところだ。
政治家は本来地方や東京から志を持って優秀な大学を卒業して社会の木鐸として一生懸命市民のために働くはずであり、まさに公僕、公(おおやけ)の僕(しもべ)のはずの政治家が国民そっちのけで「管おろせ〜!」「次はおれだ〜!」「ざけんな自民党に政権戻せ!」と、まるで満月の夜に盛りの付いた雌犬の様に吠えまくり、その合間を縫って女衒の官僚はちょろちょとと法案を通して自分たちの権益確保、まったく311地震以降の政治家の皆さんのヒステリーには負けますぜって感じがするのは僕だけではないだろう。
要するに「ヒステリー」と騒いでる政治家がやってるのが「オステリー」であり猿山の合戦なのだから本来は記事にするほどの事もない話である。なのに各社が記事にしてくれた、石原息子よ、親父に感謝しろよ。
まあヒステリーと言われたのでついでに書いておくと、だったら政治家さん、誰もがヒステリーを起こさなくても済むような正しい情報を提供してくださいよ。
あんたらがきちんと情報発信しないから個人が仕方なく情報収集して、その情報が時には過激すぎて政治家からすれば「ヒステリー!」と言うかもしれないがその責任は正確な情報のとれない個人か正確な情報を出さない政治家か?考えたら分かるよね。
ぼくが今回東京で多くの人間と話したら誰もが「え?東京では皆普通に生活してますよ〜」だ。実際にそのようだ。
ところが説明会にご参加いただいたお客様の危機意識は非常に高い。この違いは何か?それは知識格差である。もちろん放射能が将来的にどこまで子供に影響を与えるか分からない、何もないかもしれない。
だから何もしなくても良いかもしれないし何をしても意味ないかもしれない。ある意味交通事故にどれだけ注意しても、遭う時は遭うっての同じだ。もっとレベルを落として書けば自宅の掃除と同じで、どうせ汚れるんだ気にするなってレベルだ=人はどうせ死ぬんだ気にするな、ぶくぶく太り肝硬変になり体ぼろぼろになっても好きなことしている方がましって、または今日の飯があればいいってレベル。
けれどチェルノブイリ付近の子供たちが甲状腺ガン手術の痕として首の周りに肉が抉られた、一生消えないチェルノブイリネックレスと言う傷を持っているのも事実なのが忘れられない親がいるのも事実なのだ。
飛行機でニューヨークに行くのと同じなんて議論がしょっちゅう出てくるが、では子供を持つ親として今までニューヨーク行きの飛行機に乗ってた乗客のがん発生率が異常に高いという数字を見たことはないし逆にそんなにニューヨークに出張があるような仕事に子供が付ければ(職種がどうこうではなく)それなりに子供を育てた達成感もあるだろ。
けど今「この程度は安全」と言われながらもそれ以下の数値でさえチェルノブイリ付近の子供が発病したことを考えれば、そのような放射能が子供の頭に降りかかっているとすれば誰でも普通に「ヒステリック」になるのではないか?
つまりもう少し突っ込んで考えれば、子供をどんなに危険から守っててもふとした瞬間に子供が交通事故や火災に巻き込まれて死ぬかもしれない、それに比べて数千分の一でしかない危険をそこまで問題にするかどうか、である。
じゃじゃーん、ではここで質問。今東京で生活して「大丈夫じゃん〜」と言う、例えば石原息子世代の人々、あなたたちは毎日週刊誌やエロ新聞をにやにや読みながら「おお、赤ワインは体に良いのだ」とか「まかが効くんだって」とか「サバに含まれるなんちゃらは〜」とか言ってませんか?
それも原発も、体の健康を維持するって意味では全く同じであり、あなたが毎朝駅のキオスクでエロ新聞に払ってる100円?だっけ(東スポっていくらだ?)で得られる男性の腰回り情報より、もう少し上の方、つまり脳みそで得られる放射能に関する情報を基礎にして行動しているだけなのだ。
ところが腰回り情報だと同調する親父は多いのに放射能だと同調してくれる人が少ない、だから腰回りよりも当然に大きな行動を起こすことになり、それが結果的に世間から見れば「やり過ぎ、ヒステリー」となるのだろう。
これは教育ママ対それ以外の喧嘩でも同じである。共産党対創価学会でも同じである。要するに片方から反対側を見たらどう見えるかだけの問題なのだ。
原発事故はこれから長年付き合っていく問題でありそれをどう認識するかは人によって違うだろう。ただ思うのは自分の意見と違うからと言うだけで相手の考えを検証しようともせずに過激な言葉使いをする人もある意味思考停止状態のヒステリーであり、これじゃお互いに成長ないぜ、そんなんじゃ日本全体がますます沈むだけだぜって言いたい。
10年後に自分の子供から「ねえお母さん、なんでぼくの首にチェルノブイリネックレスがあるの?」って聞かれた時にきちんと答えられるだけの母親でいられるかどうかだと思う。