2011年06月21日

正解のない人生、そうだ宗教しよう!


震災後に多くの人々が初めて原発問題を目の前にしてどうしていいか分からずに「正直今まで原発のことなんてあまり考えずに普通に生きていました。けど今放射線が人間に与える影響を見ると、怖くて怖くてどうしていいか分かりません。お願いです、私を安心させてください」と書き込んでいるのを見かける。


安心なんて商品はこの世に宗教以外には存在せず、宗教の基本は信じ切る事だから結局疑問を持ちながらそれを解決して合理的に安心を得る事は出来ない。


こういう書き込みが増えている事で今の日本で生活をする人々がどれほど危機意識を持っていなかったかが分かるし何でいつも時代が末世になると宗教が流行するのかよく分かる、要するに心が弱いのだ。


日頃は何も考えずに蝶よ花よと生きてきて、哀しい少女の話をテレビを見て少し泣いて政府を批判する記事を読んで少し怒って今年は節電だと言われて節電グッズを買いそろえている自分、ところが政府がニュースを通じて沈静化しようとする中で“東京の空にまでHOTSPOTがある!”なんて情報が流れると「そんな事、聞いてない〜!」とヒステリックに叫ぶ。


こうなるとパニックでありどうしようもない。理性よりも感情が先だってしまい、何を見ても聞いても信用出来ず、テレビのニュースを見てもそれが本当かどうか分からない。


今までの人生と生活の指針であった「だってテレビでこういってるんだもん」が通用しなくなった。今まではテレビさえつければ誰か偉い人がいろいろ言ってたじゃん、政府の人が説明してたじゃん、あれって、全部嘘だったの????一度思いついた疑惑は旦那のケータイに見つけた女の名前の番号みたいに膨れ上がり止まるところを知らない。


かと言ってこのHOTSPOTの話も信用できない。人々は原発反対のデモをやっているから参加すれば安心出来るのか?それとも自分の部屋に籠っていれば安心なのか?


不安にかられてネットで調べると、どうも福島に置いてあった燃料棒の一部は中性子を発生させるようでこれは分厚い壁も透過して人間の内部を溶かしてしまううううううう、なんて情報を見て、壁に付いてた片手を振り放したりするけどもう遅いいいいいいいい。


と、そんなこんなに嘘情報や関係ない情報までいきなり何のフィルターも付けずに吸収してしまいどこまでヒステリックになるかってのは今までどこまで自分できちんと勉強してきたかによる。


このような人々の気持ちは理解出来るが同感は出来ない。これは言葉を変えて言えば今までアリとキリギリスではないが夏の間歌ばかり歌って何もしなかった人に神様が与えた試練であり、それは誰か他の人が肩代わり出来るわけではない。


では迷える子羊はどうすればいいのか???答えは簡単、宗教にはまればよい。どうせ今まで勉強しなかったんだから今さら少しくらい勉強したからと言って心が強くなるわけもない、地域ごとひっくるめて新しい宗教を作るのだ。


例えば品川地区は品川教を創る。彼らは品川だけが良ければ良いのであって政府の予算がどうのこうのなんて関係ない、今から政府に言って自分たちの土地をすべて掘り返させて南太平洋あたりのきれいな土と入れ替えなさいとでも言えばよい。


え?そんな事で問題解決するのか?そんな事したら東京中全部の土地を入れ替える必要があるぞ。それにかかる費用も大問題だが実際にそこまで放射能の影響があるのか?人間がこの世で生きる限り常にリスクはあるわけで、原発問題だけをわーわー言っても仕方ないでしょ、なんて理屈は宗教には関係ない。


同じ宗教仲間で人々の中に混ざって彼らと同じ呪文を唱えていれば心が「落ち着く」わけで、それが「安心」に繋がるのだから理屈とか正しいとかどうでも良い、集団心理なんだからきもち良ければよいのである。


結果的に品川教は港教との間で土地入れ替え騒動で負けてしまい合併されるかもしれないが、それでも一信者としては品川教よりも大きな人数に合併されるのだから更に気持ち良い。


そうだ、こうやって宗教にすがろう。そうやって各地の宗教が戦いながら一つにまとまっていき、最終的にそのもっとも大きな組織が日本教になるという皮肉と言うか矛盾なんてのはずっと後になって分かるわけであるし、その時になれば教団の教育宣伝部長がうまい事理屈を思いついて「だ〜から日本教がいいのだよ、えっへん」である。


今回の原発も方向性としては、

1・今年の夏は暑くなり末世

2・ほーら、関西も節電でっせ。

3・暑いでしょ、大変でしょ、やっぱり電気欲しいでしょ。

4・工場でアイスクリームも作れない、冷蔵庫も使えない、ほーら冷たい水が欲しいでしょ。


だったらやっぱり原発動かすしかないでしょ、ほらほら311から3か月も経ったんだからそろそろ大人になって、黙って原発受け入れましょう、政府だって安全だって言ってるんだから。こうやって迷える羊たちは、またも官僚主導のいつか来た道を歩く。


けど考えてみれば結局それが彼らにとって一番幸せなのかもしれない。


だって何もない時は難しいことは考えずに明日着る服とか友達とのささやかな飲み会とか何にも勉強をせずに毎日を過ごして、何かあったら一過性で宗教がかりになって振り回されて、数か月もすれば元の生活(みたいなもの)に戻れるのだ。考えるとか勉強するとか、そんなこと面倒だし頭痛いじゃん。


どっちが正解なのか?覚醒して少数派として生きるのか、多数派の一員として心の安心を得て自分の住んでる土地の土を入れ替え運動をしながら生きるのか?幸せが自己満足と定義すれば、覚醒しない方が幸せである。何故なら覚醒してしまえば他の社会問題が次々と見えてきてしまうからだ。


 



tom_eastwind at 16:18│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 | 日本ニュース

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