2011年06月26日
チャイナシンドローム
チャイナシンドローム
週末に日本から届いた「チャイナシンドローム」を観る。DVDはAmazonで購入しても直接海外に送ることは出来ないので国内で一旦受け取り再度パッキングして送ってもらってる。リージョナルとか売る側の都合だけで世界を区分けしているけど、そんな時代なのかな〜、顧客視点が結局いつの時代も正解なのに、わからん業界だなとか思いながら送られてきたDVD、パッケージには1,480円と書かれておりオークランドで映画館に行く(16ドルくらい)のと同じくらいの値段だ。
けど自宅のソファに座ってお茶飲んだり途中で一時停止したりとか、分からん部分は再度見直しが出来るって意味ではかなりお値打ちである。映画館のゴールドシートに座る事を考えれば(30ドルくらい)安いものだ。
1979年3月16日に初放映されたこの映画は、その12日後の3月28日にスリーマイル島原発事故が起こった事もあり「チャイナシンドローム」と言う言葉が原発反対の代名詞のようになって現在に至る。
映画を観て最初に驚いたのは不謹慎ながら「あれ?マイケル・ダグラスじゃんか!」である。そうか、こいつこんな映画にも出演して演技力を磨いて来たんだなとか本筋と関係なくちょっとうれしくなる。考えてみればジェーンフォンダのお父さんはヘンリーフォンダ、マイケルダグラスのお父さんはカークダグラスなわけでお父さんたちの映画も大好きな僕としてはハリウッド2世役者の共演は十分に見ものであった。
ただこの映画の内容は原発に対する強い批判ではなく、現在の原発反対派の主張の土台になったり反対派をサポートするものではない。偶然にSF映画の放映時期と現実の原発事故がくっついて出て来た話なので、この映画を見ただけで「私も原発嫌いになりました!」と言う人は中国人が作った南京事件を読んで「あたしは日本人を嫌いになりました!」みたいな話になるので注意が必要。
当時は他にも自然災害の「大地震」や人災の「タワーリングインフェルノ」などが人気を博してたが、そういう系の延長の一つと思ってもらえばよい。自然災害と人的災害が重なり人智を超えた大惨事が起きる、それがチャイナシンドロームであり、だからいきなり原発反対などとは言ってないのだ。
何を議論するにしてもまずはしっかりと事実を押さえて確認してからでないと、どんな話もとんでもない方向にそれてしまうのは自明の理である。原発映画一つ観るにしても理解するだけの事前学習や日頃の思考訓練が必要だ。
ぼく自身は現在の原発に関しては好意をもっておらず国家のエネルギー政策と言う大きな問題を個人的な賄賂や目先の利益だけで原発に結びつけた中央政府の連中のバカさ加減に呆れるしこいつらが東大出て世間じゃお利口さんと言われているんだからどうしようもないな程度の認識である。つまり彼らを吊し上げてどうにかしてやろうなんて発想はない。それより現実問題としてどうするのかに目がいく。
エネルギー政策の中で原発を選択するか自然エネルギーを選択するかって時点で原発を選んだおえらい連中は、戦前までの帝国大学で教えていた中国の古い哲学や歴史や文学を全く学ばずに、つまり人間として最初に持つべき土台を受験教育の中で失い、表面的な数字の組み合わせだけで社会に出たから自然と人間の基本的な関係が理解出来なくなっていた。
本来日本人が子供の頃から親に学ぶべき持つ道徳心とか人間はなぜこの地球に存在するのかとか、もっと言えば人間の体には魂も存在するのか、など等をしっかり勉強した上で更に科学の進歩で少しづつ自然のことを理解していくべきだ。そして人間と地球が共存するにはどのような方法があるのか、そう考えれば原子力、てか原子の世界に入っていくには人間はまだ十分な準備が出来てないことが分かるはずだ。
しかし問題はこれが東洋的人智として理解しているだけであり西洋人の操る科学的証明が出来ない事だ。つまり西洋科学はこちらに対して「俺たちの土俵で議論して勝ってみろ」と言うがその土俵自体が「人間が地球上で一番偉くて賢い」ってのが前提の傲慢主義なのだから乗りようがないのだ。出来るのは「お前ら西洋人が傲慢さを捨てて東洋科学を素直に学んでみろ、そしたら分かるから」と言うだけだ。
だからまず最初に考えるべきは科学が絶対ではないという事実を認めるかどうか。次に原子力はお金になるから導入したという「ほんとの話」をしっかり理解すること。彼らからすれば金になるのなら原子力でも牛のげっぷでも何でも良かったのだ、ついでに言えば地球温暖化は科学者と一部欧州ビジネスマンたちの最新の金儲けだという事。
原子は現在の科学が解明出来ていない世界の話であり更に言えば科学が自然のすべてを理解出来て地球のことが分かるなどと考えるべきではない。西洋科学一本やりで何でも科学で解決できるなんて思い込まない方が良い。
なので本来なら原子力よりも自然エネルギーを中心にして持続できるエネルギー政策を作るべきだったが、目先のことしか理解出来ない官僚体制を作ったのも政治体制を作ったのも僕ら日本人であるし当時の田舎のおらが村で金儲けをしたのも日本人であるから、今さら過去をすべて無視して「自分だけが知っている、正義の味方だ!」なんて言えるわけもないのも事実。
そのような歴史的事実と自然との共存を考えながら現在の日本が置かれている立場を見ていけば原子力絶対反対!すぐに廃止しろ!と言う感情論は通用しないと分かるはずだ。
原子力推進派の主張する「理屈」に対して反対派は相手の土俵に乗っかって主に「感情論」で反対するから相手にバカにされるのだ。最初にすべき事は相手の土俵で喧嘩するのではなく相手の土俵である「科学は絶対真実」が間違いだということを認めさせて「絶対真実でないなら間違いもあり得る。その間違いのボタンの代償が高すぎるから当分はやめておこう」という事だ。
もちろんこれには代償がある。電気に慣れ親しんだ生活を節約する必要があるし高い電気代を払う必要が出てくるだろう。しかし反対派も自らの主張を貫くには自らも便利さを捨て去る気持ちが必要だ。