2011年07月06日

まっちゃんと同和について 

 

まっちゃん、あっさりと辞めましたね。もしかしたら同和団体の大御所に「馬鹿もん、お前が騒ぐと同和が叩かれる、すぐ引っ込め!」と言われたのかもしれない。

 

同和問題は関東ではあまり話されないが関西では大きな問題であり同和団体と言えば京都市役所も大阪市役所も泣く子も黙る組織である。

 

まっちゃんが宮城県知事相手にあれだけ傲慢で強気で最後には「オフレコ!」と怒鳴ってたのも、彼にとってみればいつも役人相手にやってたことであの日だけ特別に吠えたわけではない。

 

けど同和を知らない人からすれば「何じゃ?意味不明だぜこのおっさん」となるだろう。

 

同和問題は突き詰めて言えば江戸時代以前の国の支配者が民を分断統治する為に作った人間による人間の差別制度である。だから時代の変化と共に人間が進化する中で「これっておかしくないか?」となって「こんなもん廃止しろ」って言ったのが明治時代。

 

ところが肝心の民が差別する方もされる方も差別慣れしているからいつまで経っても実態としての差別がなくならない。これに怒った普通の人々である被差別民が始めた戦いが部落解放運動である。

 

このあたり詳しく知りたければ「橋のない川」を読むことだろう。日本人として近代の歴史を理解するためには部落問題は避けて通れない、むしろこの問題を通じて労働者同志が団結して支配者と戦う事を学ぶべきだろう、差別などと言う下らない支配者層ののひっかけに騙されないためにも。

 

現在の「同和」と呼ばれる団体は元をたどれば水平社運動に繋がる。部落解放をどのような形で行うか、被差別部落名の中でも様々な考えがあった中で自分の身分を完全に隠してしまい部落出身と言う事を秘密にする人々もいる中で水平社は自分たちを差別した方が間違っているのだ、堂々と人間として部落出身であることを主張しようとなった。

 

島崎藤村の本を読んでみるのも良い、江戸から明治の部落問題がどれほど一部の人々に大きな影響を与えていたかよく分かる。部落問題自体を消滅させて歴史のかなたに消し去る事でなくしてしまおうと考える人々と、部落問題をきちっと学んで歴史の中の「間違いの一ページ」として人々の啓蒙に使おうとする人々である。

 

ところが水平社運動が次第に社会に認められ戦後日本が左翼化する中で部落解放運動は「同和」と言う名称で役所に対する圧力団体として活動をするようになった。どこの国でもそうだが、それまで差別されていた人が権利を勝ち取ると異常なまでにその権利に執着して、すでに問題は解決したにも関わらず問題を作り出しては金を奪い取る集団となった。

 

つまり本来の被差別集団の解放活動が金になると分かった連中や選挙の票になると分かった社会党がしゃしゃり出てきて現在のような歪んだ組織暴力集団になっているのだ。

 

その集団の親玉が松本龍一家であり政治家に対する恫喝や役所に対する脅迫などは日常茶飯事、今回の事件も東北放送がニュースにしてyoutubeが拡大したから人々が知ることになったが、しょせん日本民主党と言っても寄せ集め集団、以前の社会党のチンピラも現役の大臣になれるという日本政治のバカさ加減をよく表している。

 

ちなみにマスコミも第一報はどこも抑えめの記事であった。同和に殴り込みをかけられたら困るマスコミであるがyoutubeで一気に広がったので「みんなで渡れば怖くない」って事でマスコミはどこも一斉に叩き始めた。これも日本的な無責任マスコミの姿をよく表している。



tom_eastwind at 10:11│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔