2011年07月07日
リタ?
東京で仕事をしていると、立派なスーツにネクタイを着けたビジネスマンが「私はまずですね、お客様の利益を考えてですね〜」とか「いやー、まずは御社が儲けてください」みたいな事を言う人がいる。
本人は自分を「利他主義」と呼ぶ。他人に利益を出してもらってから自分が儲けるというのだけど、言ってる本人は最近どこかのセミナーで「利他主義」を初めて聞いたのかってくらい新鮮そうな感じで口に出す。
う〜ん、日本のど真ん中で現役でビジネスやってる働き盛りの人が今更この程度の感覚ですか?と考えてしまう。ビジネスの歴史とかは勉強しなかったんですか?日本では江戸の昔から商人のあり方として三方一両得があったし英語で言えばWinWinの関係もある(実際には英語社会ではあまり見かけることはないが)。
なのに今になって利他なんて言うのは、要するにビジネスの基本歴史を学ばないままに社会に出て誰もそういう基本を教えないままに育ってしまって今の地位にいるってことだ。
普通の日本の現役ビジネスマンの発言を聞いていると、彼らはもしかして学校教育に根本的な原因があって道徳ってのを学ぶクラスがなかった、または道徳の時間も先生のいう事を聞かずに足し算や引き算の計算をしていたのではないかと思われる。
とにかく自分だけが儲ければ良い、毎年の決算の数字だけを追いかけて決算ルールが変われば変わったで四半期ごとの利益、そんな事ばかり言って、てかそんな事を言う人間の方が評価されるのが日本の一般的な企業なのだろう。
もちろんまともな人もいる。しかしそのような人は滅多に出世できないし発言する機会もないから利己主義が企業の中にはびこってしまっている。
「ビジネスは利益を出すことが企業継続の要件である」と言うと利益だけを考える。反対に「ビジネスは社会の為に存在する」というと利益を全く無視してバカな社会福祉などを企業として考えてそれだけで一日中時間を潰して会社を潰してしまう。
どっちもバカである。今年の利益と会社の継続を同時に考える事が出来ない能無しである。考えてほしい、あなたの会社がこの世界で唯一存在する、あなたの取引先も顧客も利益が出せずにあなただけ利益が出た場合は、取引先も顧客も消滅してしまう。
あなただけがこの世界に存在してそれで生きていけるだろうか?こんな風に書くとややこしいが簡単に言えば地球上の餌を食い尽くした動物は滅びるしかないという事だ。
自分が生きていくためにも他者の存在が必要であるし共存共栄することで人生の選択肢が広がっていく。だからこそ利害関係者全員が儲かる仕組みが必要なのである。
自社の利益を得ることも大事だが同時に取引相手も利益を出せるのか顧客にとっても良いものを売っているのか、そういう事を基本としてビジネスをする必要がある。
そしてこの取引先の利益を「取引先が死なない程度」なのか、「取引先の社員が5年程度一生懸命に働けば家を買う頭金が貯金出来る程度の給料をもらえる程度」なのか?を考えることが大事である。
なのに実際の社会ではそのような事を誰も考えないから日本では毎年毎年不景気を言い訳にして給料を下げて株主だけが儲かる仕組みになってしまった。
そして今になって「ああそうなんだ、他社があってこそ当社も存在出来るのだ」なんて言い出すので、おいおいお前さん、学校に行きなおせばと言いたくなる。こどもがある晩突然空を見上げて「ほら、お月様だよ、ぼくが知ってるんだ、あれはお月様って言うんだよ」みたいなもの。
ニュージーランドの良い点はこのあたりがビジネス的にドライに理解されている点だろう。利他と言う言葉は使わないが共存共栄の大事さをよく理解している。なんでかな、最近はとくに感じるのが「この国って島国なのか、何となく昔の日本の商売のやり方に似てるな」って感じる。
ビジネス参加者が少数であり長期的に固定されたちっちゃな社会では目先の利益よりも長期的利益が優先される。一時的に仲間を裏切って得られる利益よりも長期的に仲間と安定した関係で得る利益の方が大きい事が理解されている。それにちっちゃな社会で一度トラブルを起こしたらいられなくなるが、だからと言ってシドニーでゼロからやるなんて耐えられない、第一それなら最初からシドニーに行ってるし。
例えば見積もりを作るにしても最初から相見積もり!みたいな発想はあんまりない。日頃付き合いのあるところに「お願い」して料金を出してもらい、そこに自分の会社の適正利益を乗せて定価で販売する。この適正利益と言う考え方が大事であり、儲かればいくらで売っても良いとはならない社会の暗黙の合意がある。
たくさん買ってくれたら大幅割引って発想もないし他社がこの値段だからお前んとこはもっと安くしろ!みたいなのがない。もちろん僕が取引している相手はすべてが長期の取引でお互いに安定的に儲けようとしているから、目先の細かい話よりもお互いにどうやったら仕事を円滑に進めることが出来るかを考えるからでもあるが、勿論契約社会であるから契約は非常に重要だが、同時に島国社会でありけっこういろんな場面で「じゃあこれでいこう」と大きな事を決めるけど契約書がないなんてケースがある。お互いに相手がいないと困るような仕事だと契約書の細目を詰めるよりも見積もりの細かい数字をぎちぎちと言うよりも「とっととやってしまおうぜ」って感じがある。
なのでこの街では日本的な言い回しの「業者を呼びますから」などと言う言葉はなくサプライヤー、供給者となる。個人的に僕はこの「業者を呼ぶ」と言う日本人の言い回しは大嫌いだ、いかにもエラそうでカネさえあればバカでも神様になれるんかいと感じるからだ。
サプライヤーは自社の利益を確保するしそうでなければビジネスはしない。このあたり、日本では利他ではないくせに自社の利益を吐き出してでもビジネスを成立させようとする。
日本では昔は契約書なんてあまり重要ではなかったし取引先があれば相見積もりなどせずにそこに依頼して終わりだった。彼らがそれでぼったくることもない。一時的な利益で長期的な利益を失う事の損失の大きさをちっちゃな島国だから理解出来ているわけだ。
このことはこれから起業家ビザ部門で永住権申請を考えている人はぜひとも理解してもらいたい点である。日本人だけで固まって日本語だけでビジネスをするのであれば違うかもしれないが、キーウィ社会に足を踏み込んでビジネスをする限りこの国のビジネス習慣を理解しておく必要がある。
少し散漫な書き方になったがこれからニュージーランド社会でビジネスを考える人は日本のビジネス常識が少なくともニュージーランドビジネスでは常識ではないという事を理解してもらえればと思う。