2011年07月09日
丸山真男の示す日本
池田ブログで取り上げられていた下記の文章は昭和の政治学者丸山真男の論文集「忠誠と反逆」からの切り抜きだ。
「経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁茂に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼に化するかもしれない」
ややこしい文章だが平易に書けば
「今までの経験や先輩後輩上司部下とかとの距離感と力関係さえ分かっていれば生きていけた、そんな時代の「為さぬものはなさぬ(ダメなものはダメ、理屈じゃないのよ)」と言うルールがなくなった時、キリスト教のような「絶対」を持たない日本人は自分の判断基準がないから基準に則った思考をすることが出来ずにその場の「なりゆき」に「つぎつぎ」と身を任せるしかなくそれは底知れない泥沼となっていく」
まさに今の日本であろう。海江田計算?大臣が九州電力玄海原子力発電所を「安全」だとして再開するとわざわざ根回しまでして発表した途端に今度は管首相が「すべての原発でストレステストをやる」と反対意見を出して、それで大臣が「辞めてやる!」と言い出すと「いやいや、誤解があった、よく話し合おう」となって再度方針変更。
歴史を紐解けばこのような無作為や無法や誰がボスか分からず誰が責任を取るか分からないような無政府状態に陥ったのは大東亜戦争以来ではないか。
当時も様々な力を持つ人々が、しかし決定的な力を持ちえないままにその場その場の感情で“おまえのかーさん、でーべそ!”程度の議論をして閣議決定とか言って全然統率の取れない戦争に突っ込んでいって結果的に国家は壊滅した。その後続く米国支配は当時の国家権力者全体の責任であることは間違いない。
ところがそのような連中が戦災で焼きだされて住むところもない日本人が右往左往しながら何とか今日の飯を漁っているときに大磯や大船でエラそうな事ぬかしたりした挙句にいつの間にか政治の中枢に戻って美味い汁を吸ったりしている。誰もがすぐ忘れるのだ、過去のなりゆきはつぎつぎと変化していき誰も覚えていないのだ。
大臣のなんのと言っても結局日本人の本質的な弱さから逃げることは出来ず、その意味では九州の水飲み百姓や被差別部落の村おさと何も変わることはない。結局自分で確固たる絶対的な信念のない人間は究極の状態に追い詰められた時にぼろを表すわけで、問題はそういうぼろが上は大臣から下はヒステリックに騒ぐだけの一般人まで殆ど皆同じであるってことだ。簡単に言えば腹が据わってない。上から下まで腹が据わってないから流されるし振り回されるしおかしいと思ってもついつい周囲に合わせて旗を振ってしまう。
今回の原発事故の様に、事柄を理論的に考えたうえでどう対応するかではなく周囲がどう反応するかで自分の反応が決まってしまう。周囲の声が自分の声のように思えてしまい自分でも気づかないうちに空気に染まって洗脳されて他の人間と同じように感情論だけで大騒ぎをすることになる。
ある意味これは江戸時代以来の長い平和を過ごしてきたからではないか、本当に究極に追い詰められて理論的思考回路を使って自分の寄って立つところを理解してそれを自分の声として発するようになって初めて「絶対」が出てくるが、長い間そのような究極がなかった人種だから突き詰めて考える訓練が出来ていない。
ただ外国からそのような日本を見ると実に情けないとしか言いようがない。海外で蝶よ花よ原発よなんて意味不明にヒステリックなんて起こしてたら絶対に食っていけない。海外で日本人が生きていくってのは、誰にも守られてない中で自分ひとりで判断していくしかないわけでそんな時に感情論や思い付きや雰囲気で流されている日本を見ると同じ日本人として非常に腹が立つのだ。
日本に戦争が起これとは言わない。しかし国家を支える人々は常に危機意識を持って理路整然と考える能力が要求されるしその結果を国民にきちんと伝えて国家の方向性を明確に指示することが必要だ。
そういう事が出来なければ国会解散!となるのだが、問題は国会が解散しても次に政権を取るべき人物がいないし選挙になれば国民はまたも目先の、おらが村に銭っこ回してくれる代議士に一票を入れてしまう。つまり国家が上から下まで政治的にどうしようもない無能力な状態なのだ。
そして冒頭の丸山真男の言葉ではないが、それが日本人が持つ土壌なのであれば今回の原発騒動が収束しても次にまた同じような問題が起こり、その度に日本人の地位が低下していき、いずれ日本はポルトガルやスペインのような忘れられた過去の大国となってしまう。
ではこのような日本的土壌を根本的に入れ替えて新しい土地の上に現代的な日本人を構築することは出来るか?答えはある。出来る。国民全体の教育を江戸時代から続けてきた「民は依らしむべし知らしむべからず」から「お前が日本人でありお前がどうすれば日本が良くなるのかお前の頭で考えてみろ」と言う教育に切り替える事だ。
自発的に考えて自発的に行動する。他人と群れない事を恐れない。和すれど同せず。そして和魂洋才で世界に出ていくことだ。
日本人が持つ能力の殆どは世界でもトップクラスである。自然を感じることが出来る感性、社会の相互扶助を普通に理解出来る能力、ほっておけば必ず平和的に良いものを創造出来る能力、どれをとっても日本にいる日本人からすれば「なんで?この程度で_?」と思うかもしれないが、海外に出て生活をしてみればよい、いかに日本人のレベルが高いかすぐ分かる。
丸山の時代は本格的な国際化の入口であり人々は彼の本を読んで悠長な事を考える時間もあった。しかし今は多くの国境が熱波の前のチョコレートのように溶け出しておりお互いに境がなくなってきている。今のうちに日本人の優秀な種を保護しながら世界に対応出来る体制に作り替えるべき時である。