2011年07月22日

なごり雪

雪のクイーンズタウン

 

クイーンズタウンの街中に降る雪は一年のうち2〜3回くらいだ。スキーシーズンの始まりである6月後半と8月後半、8月の雪がその年のシーズンの長さを決める。そしてシーズン途中にも一回くらい降るのだが、それが今日の雪だ。白い粉のような雪が降り始めたかと思うと、あっと言う間に町全体を雪で包んでしまいクイーンズタウンを静けさの中に閉じ込めてしまう。

 

オークランドに戻る日に大雪にぶつかりクイーンズタウン空港閉鎖、ぼくは日曜のフライトのはずが水曜日に変更になった。多くの人はキーウィスピリッツと言うか、あまり気にしている人はいない。「おお、そうか、じゃあもう一日スキーが出来る言い訳が立つね」くらいの発想で生きているからで、一生懸命ケータイで電話しまくってる人はシドニーのタッグを付けている。ギリギリの日程で遊びに来たんだろうな。

 

それにしてもよく雪が降るな、こんな雪を見ていると1980年代後半のクイーンズタウンを思い出す。ぼくは本当に偶然なのだろうがいつの時代も景気の良い街にいた。1980年代後半までの日本は超好景気でありそこから外国に行ったぼくは知り合いからも「なんだよ、こんな景気の良い日本を離れてさ〜」と言われた。

 

しかしそれから3年後の1991年、バブルが崩壊して世の中が変わった。

 

当時のクイーンズタウンと言えば日本からのスキーヤーが毎日毎日続々と送り込まれて、山で滑っているスキーヤーの半分以上が日本人だった。

 

強い為替を背景に海外に進出する企業、強い円でお得な海外旅行をする人々、クイーンズタウンもその波に乗って多くの日本人スキーヤーが来て、アジア人と言えば日本人しかいなかった。

 

その後ぼくは1991年に香港に移住した。ちょどその頃だ、日本からのスキーヤーが激減して市場が欧米に変化した。ぼくの移住した香港ではちょうど返還前の好景気で盛り上がっており不動産や商業ビルの売買から日系企業の中国進出まで様々なビジネスが次々と現れてきては、手の遅い判断力のない日系証券会社が次々と騙されて負け組になったのは有名な話である。

 

それでも日系証券会社は本社の指示を受けて動いたのだから赤字になっても責任を取ることはなくオフィスだけ畳んで「やっぱり外国は大変だわ」と言いながら日本に帰ったものだ。その後1997年に香港が中国に返還されて急激に経済が悪化した。その頃ぼくはオークランドでゼロから仕事を立ち上げていた。

 

今のクイーンズタウンには日本人の跡形さえなく欧米顧客を中心として景気が良い。夕食はワイン込で一人平均で150ドルだ。日本人はどんどん内にこもりスキーもしなくなりお酒も飲まなくなりその先はどのような人生が待っているのだろうか?

 

世界の中ではまだまだ日本人に対する信頼は厚い。今ならどうにかなるんだけどね。

 

降り続ける雪ってのは人の思い出を過去に引っ張っていくのだろうか、1980年代を思い出してしまった。



tom_eastwind at 20:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔