2011年07月25日

銀のスプーン

欧州からの家族旅行、スキーツアー80年代は日本人が半分以上だったクイーンズタウンでも今はアジア人の姿を見かけることは殆どなくクライストチャーチの地震も影響したのだろうがツアー客は次々とキャンセルになっている。「次のツアー?11月からね」と諦めたようなレストランオーナーの発言だ。

 

ところがその穴を埋めるように西洋人が急激に増えており彼らが主役となり彼らが喜ぶようなレストランやサービスが提供されている。てゆうーか、彼ら欧州のお金持ちの納得できるサービスがクウイーンズタウンで提供できるようになったことを知ってやってきたという感じだ。

 

クイーンズタウンのルチアーノ(Luciano)イタリアンレストランに来た老フランス人家族は最初片言の英語で不自由そうにメニューを聞いていたがウェイターがフランス語を喋ると知った瞬間に「おい店長、こいつはおれのテーブル担当だ!おれたちゃ英語が不自由なんだからいいだろ!」当然のようににこにこと笑いながら申し付けている。注文は赤ワイン、はは、個性の強い人々ですな。

 

街中にはカラフルなジャケットを着た家族連れが楽しそうに買い物や食事を楽しんでいる。欧州の長い夏休みを利用して一週間単位で滞在している彼らからすれば、山の天気が少し曇っていれば「あら、じゃあ今日は街でお買い物とゆっくりランチね」と言う感じだ。日本人のように夜行バスでやってきて吹雪の中でも朝から滑って昼間はさっさとラーメン食って夕方になるとまた夜行バスで帰るようなスキーツアーとは根本的に休みの感覚が違っている。

 

欧州から来る場合、家族4人で2週間程度の旅行なら往復の飛行機代とホテル代にリフトパスや食事を入れれば400万円程度の支出である。おお、なんてお金持ち!となるが、彼らの生活水準からすれば「今年の夏はどこに行こうかしら?あら、クイーンズタウン、よさそうね、ねえお父さん、うちのジェット機ってニュージーランドまでノンストップで飛べたかしら?たしかお友達がクイーンズタウンに別荘を持ってたはずよ〜」程度である。

 

クイーンズタウン空港で自家用ジェット機から降り立った奥さまは上等なミンクのコートを羽織りご主人様は仕立てコート、子供たちも随分と品のよさそうな教育を受けた顔つき。

 

このような奥さまはおそらくだが代々の欧州の貴族とか大資産家の血を引く人たちだろうし物腰から全然違うのでいかにも世界の支配層ですわよって匂いをぷんぷんさせてる。それも自分から見せびらかすのではなく自然とあふれ出てるのだから大したもんだ。しょせん日本の金持ちとか上流階級とか言っても全然ケタが違うよねって肌で感じる。

 

そんな家庭に生まれ育った子供はまさに銀のスプーンをくわえて生まれた子供であり、日本のお金持ちやなんちゃら財閥の御曹司がどうのこうのと言っても格が違う。

 

日本では子供を海外留学させたりインターナショナルスクールに通わせたりして何とか子供を世界で通用出来るようにしたいと考えている家庭がある。しかし現実問題として欧州の銀のスプーンをくわえて生まれてきた子供たちと対等に渡り合えることなどありえない。なにせ相手は何十代も続く貴族の家庭だったりするわけで生まれ落ちた時から貴族教育を受けている。日本の病院で普通に生まれてご飯とみそ汁を食べて3歳までに日本人的な性格を身に付けてしまった子供がどうやっても生まれつきの貴族には敵わない。

 

残る道は同じ学校に通って友達になり彼らの社会に何とか入り込もうとすることだが現実的には難しい。肌も宗教も価値観も違うのだからその壁を乗り越えて「人類みな兄弟!」って笹川さんみたいになれる子供は少ない。

 

じゃあどうすりゃいいのよ?って話であるが、自分が二人の子供を持つ親として海外生活を何十年も続けて一番感じるのは、勝ちようのない相手の土俵で相手の価値観で行動するよりは、こちらの土俵と価値観をしっかり持ってお互いに相手を認め合う事だろうと思う。エリート教育を無理に詰め込むよりも人間力を身に付けた方がずっと良いと思う。

 

人間力を身に付けるとは簡単に言えば自己思考が出来て自己主張が出来て相手の価値観を理解出来て共有せずとも認め合う心の余裕を持たせることだ。古い日本語で「和すれど同ぜず」である。少なくとも暗記教育や詰め込み受験教育からは絶対に身に付かない教育内容だ。

 

ただし英語は必須だなって思う。これだけはもちろん通訳を入れて対応も出来るが、やはり自分で直接相手に話しかけて自分の価値観を英語で説明出来る強さ、そして相手のいう事を理解して認めてあげる余裕は英語が出来なければ辛いものがある。

 

山に閉じ込められて数日経つが周囲は銀のスプーン組ばっかりって感じだ。オークランドからも多くのスキー家族がやってきているが彼らも地元ではそこそこお金もあるんだろうが、もともと貴族の存在しないニュージーランドで生活をしているから同じ白人でも随分違うものがある。キーウィだって地元英語で家族で喋りながらも時々隣のテーブルに欧州白人が来ると少し空気が変わるのがわかる。

 

つまり白人の中でさえそれなりに地域差があるわけで、ましてアジア人となればさらに話は違うわけだ。相手に合せて相手の環境の中でどうこうするよりも、最初から「おれ、アジア人だし、アジア人の価値観だし〜けど英語は普通に出来るしあなたたちの考え方もよく理解出来るよ」そういうのが気軽でいいなって思う。



tom_eastwind at 16:06│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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