2011年07月26日
キリスト教原理主義
日本でも移民問題が取り上げられているがこんなドイツの記事があった。
「FKKのフィッシャー会長は、(公共の場で裸になる人が減少した事について)一番の問題は人口の減少にあると指摘。いわゆる「ドイツ人」の数は過去30年間で320万人以上減少しており、ドイツは移民を受け入れることによって約8200万人の人口を維持しているという」
「会長は、ドイツに住む移民はドイツ人ほどには公共の場で裸になるという習慣に関心を持たないと説明する。「人口を維持するためにドイツは移民への依存を強めているが、移民の多くは宗教的信条を持つ国の出身者で、FKKの活動に関心を示さない」と語った」
移民問題は人口政策の根本にあるしもっと言えばすべての国家が抱える問題だ。ドイツでは公共の場で裸になるという土着的な習慣が移民の増加によって変化してきた。裸程度ならお笑いでも済むがノルウェーの銃撃事件ではイスラム移民反対を主張する男によって100人近くの人々が撃ち殺された。
移民問題は大きく分ければ歴史的な国境のくくり方、肌の色による人種、宗教による人種、同じルーツを持つ民族による人種をどう仕分けて共同生活させるかである。
欧州では歴史的に戦争が繰り返されて現在の国境線が作られた。お互いに同じ価値観を持つ人々によって国家が運営されているので内戦が起こる可能性は少ない。ところが東欧、とくにバルカン半島では数百年にわたって民族同士の抗争が続いた。宗教の違う人々が同じ地域に住むことで違う価値観がぶつかり合いそれが人間の弱さから生まれる差別意識を増長させて最近では1992年のボスニア対セルビアの戦争に繋がった。数十万人の人々が殺されて今でも多くの人々は戦争のいまわしい記憶を消し去れていない。
移民問題の根本にあるのは価値観の違いである。同じ価値観を持っていれば肌の色が違っていても一緒に生活出来る。逆に言えば価値観が違ってしまえば同じ肌の色でも一緒に生活することは苦難を伴う。結婚と同じだ、価値観の違う夫婦がお互いに自己主張していれば幸せになれるはずがない、または相手の価値観が理解出来なければ一緒に生活なんて出来ない。
その土地に最初に住んでいる先住民族からすれば自分たちの街に住むなら自分たちの習慣を守れとなるが移民はそんなのお構いなしに自分たちの習慣を押し通す。その結果として争いが始まるわけだ。
その国が景気が良ければ移民問題はあまり多く取り上げられない。食べるものがあるのだ、争うことなどないってなる。けれど景気が悪くなったり一部の人々の貧困が固定化すると必ず移民問題が取り上げられて移民排斥につながる。ところが今回の事件は貧困や景気以前の問題でキリスト教が作ってきた社会にイスラム教を持ち込むなと言うもっと過激な主張である。
周囲では白人たちが新聞を見ながら困ったような顔をしていた、「なぜこんなことになるんだろう、おれたちキリスト教だけどこんな過激派じゃないぜ」。けどそれと同じことを言ってる平和なイスラム教国家に爆弾を落としたのもキリスト教国家であるのは間違いない。
ノルウェーの銃撃事件ではイスラムと言う宗教をキリスト教国家に持ちこむなと言うメッセージである。ノルウェーには大きな意味での貧困はないから今回の事件は単発で終わるだろうが、キリスト教原理主義者はイスラム原理主義者と同じく暴力で物事を解決する集団だとレッテルを貼られるだろう。じゃあお前らと俺ら、何が違うんだ?