2011年07月29日

「日本沈没」作者、没する

小松左京氏が肺炎で死亡。80才なら往生だ。それにしてもこの人にはお世話になったものだ。「日本沈没」は当時の日本の文学の範疇ではサイエンスフィクション(SF)として純文学よりも数段低い読み物として扱われていた。この風潮は今も変わらないが、それでも日本沈没が発表された時は凄まじい勢いで日本の文学界を変化させていった。

 

文明批評をする時や社会を取り扱う時に彼と彼女がどうしたこうしたなんて純文学で語るよりも科学的に地震や地質学やプレートを取り扱いながら実際に日本を沈没させてみる事で日本とは何ぞやと語る方がよっぽど誰の心にも届きやすい。

 

ところが未来を語る小説は現在の知識を基本にしていると言っても当時の社会では「しょせんSFでしょ」的だった。それが小松左京の「日本沈没」によって世間の評価が変わり、SFもたいしたものじゃんと言う空気を作り上げた。

 

その頃には早川文庫からSFマガジンが発行されて、少額背の僕は少ない小遣いをやりくりして毎月雑誌を購入したものだ。当時このSFマガジンに投稿していた若い作家は現在では大御所になったりしているが当時は過激な連中であった。彼らはSFを純文学並みに扱い実際にその内容は非常にレベルの高いものにした功績は当初のSFマガジンを支えた若い作家だったのは間違いない。

 

SFとアニメは非常に相性が良く、実写では表現できない内容はアニメとして宇宙戦艦や地球外生物になりぼくの子供時代の心をわくわくさせてくれたものだ。

 

ほんとに思うんだけど、あの時SFと会わなかったらぼくの今の発想はあり得なかっただろう。ぼくが今何かを考える時に普通の人より比較的自由に幅広く考える事が出来るのは小学生の当時に目をつぶって頭の中で思うだけで世界中どこでも行けて宇宙に飛び出していけて他の星の人々と会話出来て更に時代を遡って過去の恐竜時代に行ったり未来戦争の現場に飛び込んでみたり出来たからだ。

 

「日本沈没」だけでなく「日本アパッチ族」や「復活の日」とか、ほんとに壮大なスケールで考えられた作品には目を見張ったものだ。素晴らしい発想と同時にその中に含んでいる文明批評の視点が「ああ、なるほど、世界ってこうなんだ」と教えてくれた。

 

ぼくが小学生の時に本気で思ってた事がある。それは地球を平和にすることだ。その手段は僕自身がまず火星に行き火星で宇宙船を組み立てて火星人と共に地球に攻め込む事だ。そうすることで地球では国ごとに戦争なんてなくなり国家が皆で一致団結して協力して地球軍を作り火星人と戦う中でお互いに共同体の一員として認識して、火星人を排撃した後も世界の平和が続くという筋書きだ。もちろんその結果として僕は死ぬだろうけど、僕一人の命なら世界平和と交換してもおつりがくるって真剣に思ってた。

 

小学生の頃に思ってたことは今もそれほど変わらない。もうちょっと現実的に同じ価値観を持てる人々にニュージーランドに集まってもらい平和な社会を作る事と小粒化したが基本は平和の追及である。お前のような戦好きが平和かよなんて笑う人もいるだろうが、ぼくは平和のための戦争はありだと思っているので気にしない。

 

それにしても小松左京氏が逝きましたか。一つの時代の締めくくりですね。



tom_eastwind at 16:13│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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