2011年11月28日

内田さんのいつものフランス的かぐわしきブログについて

最近のBLOGOSはプロレスのバトルロワイヤルみたいな、全員がリングに上がって手当たり次第に周りにいる奴をフルぼっこ状態だがその中でも人気があるのが内田さんのブログだ。

http://blogos.com/article/25464/


今回は国民経済と言う視点からユニクロの柳井社長の発言を取り上げている。

★抜粋開始

柳井のグローバル人材定義はこうだ。「私の定義は簡単です。日本でやっている仕事が、世界中どこでもできる人。少子化で日本は市場としての魅力が薄れ、企業は世界で競争しないと成長できなくなった。必要なのは、その国の文化や思考を理解して、相手と本音で話せる力です。」


ビジネス言語は世界中どこでも英語である。「これからのビジネスで英語が話せないのは、車を運転するのに免許がないのと一緒」。だから、優秀だが英語だけは苦手という学生は「いらない」と断言する。「そんなに甘くないよ。10年後の日本の立場を考えると国内でしか通用しない人材は生き残れない。(・・・)日本の学生もアジアの学生と競争しているのだと思わないと」

〜中略〜

私が「国民経済」ということばで指しているのは、私たちがからめとられている、このある種の「植物的環境」のことである。「そこに根を下ろしたもの」はそこから動くことができない。だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステムが不可欠なのである。

★抜粋終了


昨日も書いたが今は江戸時代ではない。世界がボーダーレス化しているのだ。日本の企業が役立たずの社員を抱えて世界に戦いに出る事は出来ず、世界に戦いに出ないと逆に海外企業に進出されて国内企業は滅んでしまう。根を下ろした者を根を下ろしたという理由だけで救う事は出来ないのだ。


これに対して内田氏は落語「百年目」を引き合いにして人々の助け合いをネタに「現代の企業家にとって金儲けは端的に「善」である。けれども、『百年目』の時代はそうではなかった。私はその時代に生きていたかったと思う。それだけのことである」と逃げる。


違う、全然違うんだ。企業は金儲けだけの為に存在しているのではない。社会を正しい方向に成長させるためのエンジンとして存在するのでありこの点が内田氏のような学究学者には見えてこない。現場で仕事をしてお客様にありがとうと言われる喜びを知らないのだ。


企業は不要になればいつでも社会から切り捨てられる運命にあるのだ。だから多くの産業が出て来ては退出した。古くは人力車から繊維産業、そして炭鉱など多くの産業が社会に不要になれば自然に淘汰されたのだ。その時に雇用を守れと言って人力車の車引きを政府の補助金で雇用し続けるか?あり得ないでしょ。それと同じで産業は常に勃興と安定と衰退を繰り返して時代に対応しているのだから政府がすべきは衰退する産業から勃興する産業へ円滑に雇用を移動させることである。


英国では蒸気機関車からより効率的なディーゼル機関車に変わった時に強すぎる鉄道労働組合が釜焚き職人の雇用を守れと言う事で会社はディーゼル機関車にディーゼルの事を全く知らない釜焚き職人を乗せた。そして会社が釜焚き職人にディーゼル技術を教えようとすると「労働強化である、反対である!彼は釜焚きである!」と騒いで結局釜焚き職人は何もすることもなくディーゼル機関車の窓に両肘をかけてタバコを吸うしかすることがなくなった。その結果として英国鉄道は倒産した。


もう一つ理解してほしい事は、東京の企業が優秀な外国人を東京で雇用する。そうすると外国人と言えど飯も食えば住宅にも住むし衣料も買う。つまりそのようなサービス産業にとっては顧客が発生するのだ。この点で「そこから動くことができない。だから、AからBへ養分を備給し、BからAへ養分が環流するという互酬的なシステム」が構築出来ているのだ。


そこに賃金格差は発生する。コンビニの生産性と大手商社や金融業の生産性ははるかに違うので同じ年であっても賃金に格差は発生するが、それは教育の差であり英語圏からやってきたAは一生懸命大学まで行って勉強して今のポジションを得たわけでBは言語も含めて高等教育についていく努力が出来ずにコンビニのレジで「いらっしゃいませ」と言ってるのだが、これを格差と言い出せば世界は石器時代に戻って人間同士が殺し合い更に動物の餌になるしかないのだ。少なくとも雇用が守られていて生活が出来るのだからそこから先は自己責任である。


企業は利潤を出すことによって法人税支払いや雇用増加と言う形で社会に還元出来る。同じ仕事が安く出来るなら当然安い方を使うのでこれが海外への雇用流出に繋がる。しかし賃金を完全にゼロにすることは出来ないのだからどこかで賃金は平準化する。つまり中国やインドの人件費が上昇し日本の賃金が低下すればいつかどこかの線で両方が一致する。この時点で雇用は日本国内に戻る。但し戻る先は英語のできる日本人であることも理解しておく必要がある。


雇用を守るという事と使えない人材を企業内部に保持するというのは全く違った次元の話なのだ。雇用=生活資金を保障するのは政府の仕事でありそれは企業が納税する事で支えられる。政府が何もせずに雇用まで企業に保障させてみろ、企業はすぐに倒産するか本気で海外に脱出するぞ。そうなると東京の高層ビルに入ってるコンビニは顧客を失うことになるのだ。どれだけ美味しいコーヒーを淹れる事が出来ても目の前にお客はいないのだ。


つまり今の日本で起こっているのは賃金の世界的標準化であり、言葉は悪いが海外の若者と戦う能力のない人々には今までのような給料は高いけど生産性は低い仕事がないという現実だ。経済理論を無視して情緒的に「私はその時代に生きていたかったと思う。それだけのことである」と逃げるが、それが責任ある大人のいう事か?


子供たちはこれからますます厳しい競争に晒される。そのような時に責任ある大人が公共の場で「ぼく、逃げたい、過去の、閉鎖された社会に戻りたい・・・」なんて言って何の解決方法になるのだ?


どうせそういうなら明確に鎖国論を打ち出せばよい、その方がまだ分かりやすい。今なら日本は鎖国出来るのだし国民の多くがそれを望むならそうすれば良い。しかし責任ある大人が経済理論を無視して建設的な意見も出さずにまだ発明されてないタイムマシンに乗って江戸時代に帰りたいだと、ふざけるなと言う気分である。


この人、ほんとに文章は上手だし良い事を書くのだが基本が「逃げ」だから好きになれない。逃げが何も生まない事や大きな組織とか政府に助けてもらうなんて事で結果的に自由を失う事を知っている。だから内田さんに言いたい、逃げるな、と。



tom_eastwind at 17:09│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔