2011年12月11日
坂の上の雲
NHKで第三部がやっと始まった。3年もじらすなって感じだ。僕には変な癖があって、映画やテレビで連載物が出た場合は連載が終わるまで見る事をしない。全部出終わってから見る。米国のテレビ連載番組、例えば「プリズンブレーク」は各シーズンが終了してDVDになってから見てた。
香港のテレビ番組は連載と言っても25回程度で月曜日から金曜日まで週5でやる。だから2カ月もする頃にはDVDになっているのですぐ見られて楽しかった。ところが日本は一つの番組が週に1回で半年続くから、何ととろくさいはなしだろうと思っていた。
ところがさらに大トロなのがNHK、なんと3年だと。だもんでぼくは坂の上の雲の最初の2年分をまだ観てない。会社の貸し出し用DVD棚にはあるのだが、性格的にまだ観る気がしない。随分よく出来た内容なのだろうと推測できるだけに悔しい。じらすな、とっととやれって思うのだが日本のテレビ業界の習慣なのだろうからNHKの受信料を払ってない僕がどうこう言う権利もないのでここで愚痴るだけにしておく。
ちなみにうちの会社ではDVDが100本以上ある(数えた事はない)、また本も800冊近く本棚に置いてある(本の数は把握している、自分が読んだものを置いてるから)またDVDはamazonや放送番組協会認定会社などからお金を払って正式に購入したものでありロケフリとかではないので著作権のご心配は不要です(笑)。
あ、ちなみに話は逸れますが、著作権の考え方は文化によって全く異なります。中国は著作権と言う概念がもともと存在しません、その方が良い文化が早く流行するという考えです。そして日本は著作権について何の疑問も持たず盲信的に「法律で決まってるんでしょ、だからどんなに無意味で無駄でバカらしい制度でも守るのが当然でしょ」と言ういつものお決まり、自分の頭で考えようとしない御花畑な人々によって手段が目的化した教条主義に陥ってます。
けど著作権とはもともと英国から発生した考え方で、それまでは本を印刷する会社が永遠の権利を独占していたのを、良い文化を早く世界に広めるためにとどんな著作でも50年経ったら独占権は消滅すると規定したのです。つまり片や無限永遠の既得権を有限にして法律で手放させるようにしたのが著作権です。ですのでミッキーマウスの権利が切れる寸前にすぐ著作権を延長するような手口は本来の著作権の精神に反しているわけです。
話を戻して、ぼくが司馬遼太郎を最初に読んだのは中学生の頃ではないかと言う記憶がある。同じ時期に山本周五郎も読んでた。てか、小学校5年の頃に太宰治に関する作文も書いてて今も手元にあるが「こいつの書いてる事は軟弱だ」みたいな事をガキが言ってるんだから1970年代と言うのはまったく日本のイケイケ最成長期だったのだろう。
坂の上の雲が描く明治の日本は、当時の僕らの心を駆り立ててくれた。世界に羽ばたく日本、そこには明治維新を断行して資源のない国が一生懸命頭を振り絞って成長する姿が描かれていた。
坂の上の雲は何度読み返しただろうな、最初はとにかく血沸き肉躍る日本の躍進物語として楽しんでいたのだがある程度社会経験が付いてから読んでみるとまた違う面が読めて、そのあたりからぼくにとっては司馬遼太郎対山本周五郎と言う比較が出来上がった。
常に馬上にあって霞が関から天下国家を語る司馬に対して、周五郎は馬から静かに下りて本所深川のどぶ臭い細い路地に分け入り、雨漏りするような安普請の長屋で語られる市井の人々の日々の生活の苦しみや現実を描き、それでもそれでも人間を肯定的に描き人間に期待をして本を書き続けた。好きな作品ばかりだが特に好きな作品は「裏の木戸は開いている」だ。
20歳代の頃は司馬遼太郎よりも周五郎に傾倒していた、左翼だったのだろう(笑)。30歳代の頃は、そんな事よりも世界だ、司馬遼太郎だ、日本を語るべきだと感じていた。その頃はすでにニュージーランドや香港で生活をしていたからだ。日本人は海外に出るとその半数は右翼になる(笑)。
今再度読み返すと、結局これって車の両輪なんだなって思うようになった。天下国家を語りその進むべき方向が市井に生きる人々の幸せにつながる、市井の人々は国家や人々を信用して社会に貢献する、そういう車の両輪なんだって気がする。
ところが現実は天下国家を語る人はおらず政治家や官僚は自己利益に走り市井の人々は他人を信用せず倫理のないビジネスを行い、今の日本は両輪ともぶっ壊れた車輪の下である、人々はヘッセヘッセと毎日苦しんでいる。こうなってしまえば車ごと入れ替えるしかない、がらがらぽん!ってやるしかない時期に来ている。
偶然だが周五郎には「長い坂」と言う作品がある。江戸時代ある武家屋敷街の細い道をいつも父親と一緒に歩いて魚釣りに行ってた男の子がいた。ある日その道が塞がれて「通るべからず」と札が書かれていた。父親は「そうだな、、通れないよな・・・」とつぶやいたところから物語が始まる。
これは子供が一生懸命学び働き立身出世をしていく物語なのだがその基調精神にあるのは既得権益による不道理を認めない、人々は皆平等であるべきだという考え方だ。人々の平等を確保する為に人々を支配する必要がある、これは世の中の矛盾であるがこれが現実でもある。それが車の両輪である。
この考え方、人々の平等を確保する為に人々を絶対的権力で支配する必要があるというのは英国にも存在する。同時に英国では「権力は腐る、絶対的権力は絶対的に腐る」と言う事をよく理解しているから支配する人間はその職務を金儲けの為ではなく「貴族の義務」として一定期間負い期間終了後は常に支配者が交代する事で「転がる石は苔むさず」とする事で政治の透明さと平等を確保した。その伝統は現在のニュージーランドに引き継がれている。
長くなったが本にはこのような効能がある。本を読むことで歴史を学び政治を理解しそれで自分の知見を膨らますことが出来る。
だからそこの奥さん、テレビばかり見て本の購入禁止なんて言わないで下さいよ(笑)。ところで今は青空文庫と言う無料で読書を楽しめるサイトがある。有志が集まり著作権の終了した小説を中心にうpしている。辻井喬も夏目漱石もある。金がなけりゃウェブがあるさ。幸せな時代に生まれた事を感謝しよう。