2012年09月14日
沖縄 燃えるサンゴ礁
「あ、このIphone,NTTさ〜、どうして?」ぼくの携帯電話を見てた沖縄の子がびっくりしたような顔をしていた。そう、ぼくのIphoneケータイは日本でスイッチを入れるとNTT-DOKOMOの電波を受信したりする。
「したりする」という意味は、ぼくの契約している電話会社はニュージーランドのVodafoneでVodafoneは日本ではNTT、ソフトバンクなどと複数提携をしており、スイッチを入れた時に一番繋がりのよい電波を拾うようになる。
だもんでケータイの画面を観てると左上にNTTDOKOMOの表示が出るわけだが、日本ではそれは珍しいって話になる。
沖縄到着の翌日はピーカンで今回は久々に昼間に時間が取れたので首里城見学。ここ、ぼくが20歳代の頃はほぼ毎月のように訪れていた場所だ。1970年代のこのあたりはちょっと森の方に行くと防空壕が残ってたりした。南部の戦跡では防空壕に使われた鍾乳洞で普通に人骨があった。
今は首里城も完璧に復元されて中国文化と日本文化と沖縄独特の文化の混合を感じることが出来る。首里城では中国からの使者を迎える建物は中国風であり、しかし内部にはあちこちに畳部屋があり、お城の城壁の横には沖縄独特の亀甲墓があったりと、猛暑の中で汗をかきながらでも見る価値あった。
沖縄戦は日本本土の人にとって本来恥ずかしい話である。薩摩時代に侵略支配しておき明治時代には日本に併合しておきながらその扱いはB級県民であり、強制的に日本語を勉強させて名前も本土風の発音にさせたりしても本土に来れば「お前ら沖縄人は〜」と偉そうに話す。
ところがいざ戦争となると日本大本営居は本土が少しでも長く生き残るために沖縄とその人々を捨石に使い沖縄に送り込まれた日本兵と共に玉砕してその土地は殆どすべて焦土と化した。
戦後は米国支配が続き当時の沖縄は日本領土でありながら旅券がないと渡航出来なかった。沖縄に基地を作り本土と切り離して統治する米国の政策に反対して沖縄住民は「日本返還!」を強く主張してデモが繰り返された。
ところがいざ本土復帰をしても結局基地は残り嘉手納基地に核爆弾は残り本土からやってくる日本人は沖縄をだしにして儲けばかり考えていた。例えば海洋博などは経産省が進めた沖縄振興策と言いながら工事の殆どは本土企業が行い海洋博終了後の本部地方はまるで廃墟のような掘っ建て小屋が取り壊しもされずに林立していた。
結果的に沖縄は日本政府からの補助金漬け状態になり失業率が日本で一番高い県になり産業が育たず観光旅行で来るお客が落す旅行費用が唯一の収入となった。
補助金漬けならいいじゃないかと思うかもしれないが補助金漬けとは自立出来ない廃人政策である。古くは米国で先住民インディアンを居留区に追い込み酒ばかり飲んで暮らす生活を強いた。補助金さえも実際には本土の懐に戻るように防衛庁(現防衛省)が画策して基地利権を作った。
そういう状況の中で沖縄の人々は日本政府と交渉しながら自立出来るように経済発展を行い現在の沖縄が出来上がった。
沖縄には現在多くの中国人団体客が訪れている。上海、台北、香港にも直行便が飛んでおり観光客が国際通りで買い物をしたりして賑やかだ。夜になると民謡居酒屋では人々が沖縄料理をつまみながら踊りを楽しんでいる。
今でも失業率は高いがそれでも人々の顔は明るい。家族は一つの財布で生活をして仲間同士の助けあいのきずなは相互互助組織である「もあい」があり、仕事をするにしても日常生活の中でも助け合い、とくに身内の不幸や葬式などの際に活用される。つまり沖縄は誰もが安心して生きていける仕組みがあるから本土のような「金があっても不安な生活」が存在しない。
沖縄の離婚率は全国第一位。失業率も全国第一。ところがぼくが訪れていた1980年代の人口は100万人ちょっとだったが現在約140万人。普通離婚率や失業率が高ければ不安定な社会になるはずだが沖縄では全体の助け合いがあるから日本でも珍しく人口増加している県だというのが分かる。
沖縄の歴史は古く、日本の鎌倉時代あたりにはすでに沖縄各地に王国が出来上がっていた。その後も琉球王朝が貿易文化を発展させて中国と日本の間の取引が盛んであった。沖縄は日本でもトップクラスで昆布の消費量が多い。ところが昆布は沖縄で取れない。
実は北海道で採れた昆布が日本海を貿易船で渡り沖縄に届けていたのだ。それ以外にも日本海を利用してたくさんの物品が北はロシア、樺太、北海道から始まり十三湊、新潟、福井、博多、沖縄、福州、そして上海から北京と送られていた。
沖縄では最近次々と特区申請が行われており、アジアのハブ拠点としても見直されている。日本国内でありながら柔軟にルールを適用して活発にビジネスが広がっている。那覇を中心に円を広げていけばこの王国が東京からいかに遠いかがよく分かる。
いつも思うことだが、沖縄がもし独立宣言をしたらどうなるだろう?琉球民族として単一の価値観を持ちウチナンチュとしてまとまりがあり、長い間の中国との朝貢政治を経験して日本統治も経験して米国統治も経験しており、その意味では外交交渉も上手である。
日本及び米国と安全保障条約を結び外交は独自路線、経済を自由化していけば、今の日本の窮屈さに嫌気がさしている日本人本土起業家も沖縄に集まるだろう。
炎天下の中、守礼の門をくぐり首里城を見学しながら、ついついそんな事を考えてしまった。