2012年09月29日

尊厳死法制化

「尊厳死法制化」は医療格差の拡大を招きかねない―川口有美子氏インタビュー回答編

http://blogos.com/article/47441/?axis=p:0

 

ブロゴスは玉石混交だが色んなテーマについて「今現在の普通の人々の気持ち」がよく分かるので楽しく読んでいる。

 

でもって今日はこの「尊厳死」ネタ。現在進んでいる尊厳死法制化問題に対して反対する人の代表がいろいろとインタビューに答えているが、正直相当に浮世離れした、社会に出て自分で働いた事も自分の実力で稼いだことも同僚や他人に批判された事もないような立場の人の意見だなと感じた。

 

社民党のような無責任な感情論と思い込みで、現実の医療現場での苦悩とか社会資産はどこに再配分するのが最適なのかという議論を全く理解しないままに自分の主体験のみにしがみついてキャーキャー言ってるだけである。

 

自発呼吸も出来ず体中にチューブを巻きつけて家族に介護の負担をかぶせて公的医療費を使うのは奇跡的復活を狙っているのか?そうではない、誰もがチューブ外しを言い出せないからだ。

 

家族からすれば他人に批判される恐怖、医者からすれば告訴される恐怖、誰もが結局無理に介護を続けている現状を少しでも改善するために「もう大丈夫ですよ、チューブを外してもあなたを人殺しとは呼びませんよ」という法的保証を確保するものが尊厳死法制化である。

 

さらにこれは副次的作用として医療費の削減を伴うわけで、これはこれで良い作用だ。もちろん医療費を削減する目的が主体化してしまえば本末転倒であることは当然である。

 

日本国内では様々な議論が行われておりその中で多くの主張は上記サイトを読んで頂ければ良いと思うが、ぼくはニュージーランドで行われている医療の現場の話を付け加えておきたい。

 

ニュージーランドはまず予防医療という考え方が少ない。定期健診を受けるという習慣がない。それは予防治療にかかる費用が実際に病気になった場合の治療費よりも高いからだ。この点、国民皆保険制度でありながらドライに計算された部分がある。

 

定期健康診断をしてもらいたいと医者に言うと「病気になってからね」と言われて診断書を書いてくれない。診断書がないと健康診断さえ受けることが出来ない。だもんでどうしても定期健康診断をしたければ外国、例えばぼくらの場合で言えば日本に一時帰国して自費で健康診断を受けることになる。

 

ぼくが今年オークランドでMRIを受けた時は保険が適用されない自費診療ですべて自腹で1,400ドル払った。けど結果的に「あんたの脳みそはまだ大丈夫」と言われて安心したわけで、これでまた仕事が出来ると思えば安いものだ。

 

けれど政府からすればそれは「贅沢な悩み」であり美容整形や歯のホワイトニングと同様で自己負担である。

 

この国では基本的にピンピンコロリの死に方が普通である。昨日まで元気だった人が脳血栓で倒れて無意識になり数日後に亡くなる。最初の数日は人工呼吸器を付けるがこの場合無意識状態からずっと延命治療をすることは基本的にない。それは殺すという意味ではなく「この人は寿命が来て神様のもとに戻るのだ」と考えるからだ。

 

同時にただ単に魂の受け入れ場所である肉体を、すでに魂が出ていった状態で残すことが必要か?このあたりキーウィは非常にドライである。肉体は以前の形を留めていてもすでに本来のその人ではないからだ。

 

ニュージーランドでは老人が健康で生き生きとしており更にリタイアメントビレッジが発達して老人が主体となる生活が確保されている。つまり死ぬ寸前まで彼らは楽しい生活をおくることが出来るのだ。

 

翻って日本。尊厳死を認めない結果として莫大で負担不能な医療費を抱え込み家族に負担を強いることが正解なのか?自分の目先だけの感情的な気持ちよさだけを追求して社会全体を不安に陥れる構造が結果的に日本を悪くさせている。てか、社民党系ってほんとに分かってて日本を悪い方向に導こうとしているんじゃないかって思う今日この頃。



tom_eastwind at 13:55│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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