2014年06月21日

うつ病

「うつは乗り越えられるか?」

「いや、ありゃ、うつる」

 

最近はすっかりDVD落語にはまってる。今日は桂枝雀の落語を南太平洋の小島の小都市で青い空と海を眺めつつ楽しむ・・・少し曇ってるな、まあいいや、晴れてる部分が多いしさ(笑)。

 

でもって桂枝雀。あんまり天才的で面白いものだから演目解説やウィキを読む。・・・そっかー、こんな素晴らしい芸風なのに、だからどこか「逝ってしまった」部分があるんだなー。

 

桂枝雀、関西落語会の雄、1999年うつ病で自殺、年60歳。

 

真面目な話、うつは乗り越えられるか?答は、人によるとしか言いようがない。ではうつにかかって乗り越える方法は?絶対乗り越えられるという方法は存在しない。何故ならうつとは自分との戦いだからだ。

 

あえて言うなら絶対に乗り越える方法は今の自分と戦って勝つことだけだ。では誰が今の自分と戦うのだ?今の自分である。

 

自分が二人いるのか?

 

そうだ。自分を生きている(演じている)自分と、自分を見つめている(観客)自分がいて、その二人の葛藤(かっとう)である。「やっとう!」ではない、それはちゃんばらだ。

 

自分を生きている自分とは賢く理性的であり先を読むことが出来て、だから失敗の予測に気づき不安でだから恐れてそれがだんだん恐怖になり次の1ページを開くことが出来なくなり舞台から降りたくなる、それが結果的に自分を殺すことになり最悪の選択肢であると“理性的に”気づかないまま。

 

自分を観ている自分とは、感情的であり太陽を見て微笑み自然を愛で素顔のままの自分を喜び失敗も含めてこの地上の人生を楽しむ。例え目の前にどんな未来があろうとも、未来は絶対に自分で選べる、そう無条件で信じることが出来る自分がいる。

 

この、感情と言う自分と理性という自分の戦いがうつ病との戦いだ。江戸末期の開国派と攘夷佐幕派みたいなもんだ、一つの国ん中で2つの同じ日本人が争っている。

 

感情の強い人はどんな表面的に正しく見える理屈にも「ナニクソ!」と戦える。勘定の強い人はどんな時でも「お前、払っとけ」と開き直って言える(苦笑)。

 

じゃあどうやって感情を勝たせるか?答は簡単、感情にたっぷりの栄養を与えておけば良いのだ。後ネタで栄養問答って書く予定だけど、感情の栄養とは、晴れたら大地を耕して野菜の育つ姿に感動し雨が降れば読書してまだ見ぬ過去の人と語り合う事であり、旅に出ては先達の望まほしき事を理解することであり、要するに徒然草読めって事だ(苦笑)。

 

吉田兼好が足りんからすぐにうつ病になる。てか吉田兼好学ぶ前に鬱病になるんだから困ったものだ。けどいつの時代も希望を持てば未来予想図が見えてきて吉田美和のように復活するのになー。そう思って自分を無条件に信じることが出来れば演じてる自分に勝てる。これだけは間違いない。

 

学問の世界でも人間はまず感情ありきで理屈は後付であると言われている、てか大学行ってないので聴いたことはないが(笑)。

 

ただ自分なりに長いことこの人生生きてきてそう思う。自分の中の二人がいつも心のなかで「やっとう!」とやってる。時には二人の戦いを観てる自分がいることもある。え、三人か(笑)?けど、繰り返すけど、自分を信じたら、勝てる。これだけは間違いない(あ、ほんとに繰り返した!)。

 

ぼくがこんな話をするのもおかしな噺だが、ぼく自身だってうつの部分がある。そして世界中殆ど誰にもほんのちょびっとはうつの部分がある。理性がなくちゃ死ぬし感情だけだとやはり死ぬ。あとはそれとどう向き合ってバランスを取りつつ生きていくかだ。

 

うつとは目に見えない闇であり道端を歩いててほんのちょっとした拍子に転ぶようなもので、あははと笑って裾をはたいて立ち上がりまた歩き始めれば良いだけなのだが、真面目な人間に限ってどうしても座り込んだまま考えこむ。

 

「わたしは何故転んだのか?膝の角度が悪かったのか?視線の中にきちんと小石の位置を調査して入れなかったのか?はたまた世の中が悪いのか?それともおれが悪いのか?」などと道端に座り込んだまま歌でも歌い出す。

 

世の中を生きるのに誠実である事は大事だけど、時にはイタリア人みたいに“ケ・セラ・セラ、なるようになる〜”と人生陽気に生きることも必要だ。人間は機械ではないし時には恋も食事も休暇も必要だ。まあ、かと言って自分の乗ってる船を沈めた挙句に「まんまみーあ!」じゃあ困るけど(苦笑)。

 

ところでこの“ケ・セラ・セラ、なるようになる”ってのは2つの意味がある。

 

一つ目の“なるようになる”とは、世の中は自分の思うように“なる”である。努力する限り人は悩むものだけど努力する限り世の中、少なくとも自分を取り巻く環境は変えられる、である。

 

2つ目は、世の中は川の流れのように大きな部分で変えられないところがある、だから“なるようにしかならない”から思うように上手くいかなくても気にするな、未来がどうなるかを今からあまり気にするな”である。ほら、美空ひばりも歌ってるでしょ、“あーあー、川の流れのように”って歌ってたでしょ、あれ聴いて元気出しゃいいんだよ。

 

一番いかんのは、“なるようになる”からって何の努力もせずに毎日だらだらと酒に麻雀パチンコ麻薬、まさに「立てば痴漢で座れば盗撮歩く姿はASKAです」だ。

 

なるようにしかならないから努力しなくて良いって意味で生きてると地獄に行くよ。そしたらハリセンボンが出てきて結婚迫られるよ。あ?それでもいい?あの痩せた歯の出てる方がいい?ああ、それなら早いとこ地獄にいっとくれ、地上じゃ人間が多すぎて暑苦しいんだから。

 

お後がよろしいようでー(笑)。



tom_eastwind at 15:52│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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