2014年09月12日
香港時代1992
MacAirに切り替えてから仕事の調子が良い。英数とカナの切り替えがWindowsよりも円滑なだけで一文字の訂正にかける時間が1秒節約出来て毎日平均で8千文字くらい書いてる僕からすれば30分程度の時間的節約と心の余裕が出てくる。
しかしそうは言っても約18日間の日本出張でAucklandに戻った翌日の水曜日から金曜日まで一気に駆け抜けたわけで合計すれば21日、つまり三週間全く休みなしで地球を約半周して5都市、Aucklandを入れれば6都市で仕事をして金曜日の夜は居酒屋富士の金太郎でリトル福岡プロジェクト責任者と夕飯を食いつつ更に福岡を絡めたもっと規模の大きいビジネスの話を聴いてプランを練ってたものだから流石に土曜は昼頃まで寝てた。脳みそが眠いのです(苦笑)。
やっと自宅のベッドで体を伸ばして眠ることが出来たからだろう、ぐっすりと眠れたのだが、まだ眠れるぞって気持ちを押し込んでベッドから出て今日やるべきことを✔する。
MacAirは画面を開いたその瞬間からすぐに使えるのでここでWindowsから20秒くらい勝ってる。一日5回くらい開く機会があるので一日100秒、一年で36500秒勝ってる事になる。
水曜日から金曜日までは出張の後整理とお礼メールと宿題対応と、なんじゃこりゃ、息するのも大変な香港時代の忙しさだなって感じた。だからこそMacの1秒の大事さは実感するほど喜びが広がる。
香港時代、僕が日通旅行香港支店の営業マネージャーとして採用された頃日通は香港の日系旅行会社で一番下、つまり10社中10位であった。
だから自分で航空端末(キャセイのアバカス)を目の前に置いて朝一番からお客様やお客様の秘書からの予約で鳴りっぱなしの電話を取り次々と予約しつつそれでもコールバックの電話が溜まり10秒でも時間があればすぐにコールバックして(当時は取引先の電話番号は200番号くらいまで暗記していた)朝から夕方まで本当に電話機が耳にひっついるんじゃないかって思うくらいだった。
これは冗談であるが、ある時香港人スタッフが僕に真面目な顔で「何か手伝うことはありませんか、今朝から全然席から動けないじゃないですか」と言われて、僕は彼女に「そうか、じゃあ代わりにトイレに行ってくれ」と言った(笑)。
運が良かったのは当時の香港では日本人ビジネスマンは秘書に出張手配を任せて結局予約が取れず大損という案件が多く「信じられる旅行会社が欲しい」と言う需要があった。だからビジネスマン同士の間で「日通に頼めば取れるよ」って評判が出て、僕が直接担当して席を取り宿を取り日銀香港支店長の仕事を全部請け負うようになり仕事が激増した。
そういうのを1年位続けながら次第に順位を伸ばして2年目には当時1位だった郵船航空を抜き(勿論日本の大手のJKNは半年くらいで抜き去った)それ以降1996年に僕がAucklandに移住するまでの6年間はトップの座を維持した。
当時のお客様に付いてた香港人秘書は僕のことを日本人と知らずに出張に関して問題を抱えた彼女に対してボスが「tomに電話しろ、そしたらこの問題は片付く」と英語で言われて、不思議顔ながら僕に広東語で電話して来て「ねえ、ボスが明日の成田行きの朝イチ欲しいってんだけど、取れるの?」
ぼくは「OK,取れるよじゃなくて、取るよ、その代わり絶対キャンセルするなよ、こっちの面子がなくなるからな」と脅してJALに電話して席をもぎ取る。
当時のJALは半官半民で、僕のようなガラの悪い旅行エージェントの押しには弱い。
こういう緊急時に備えて平時に十分連絡を密にしており(これを飲ませ食わせとも言う、苦笑?)、何かあれば電話を直接入れて「おい、今誰か議員来てるのか?いない?なら議員席出せや」とやる。「議員は来てないけどいつも1A座る総会屋が来てるよ」
「ならいいや、1Aが欲しいわけじゃないからその近くの席取ってくれよ、その代わり君の友だちが欲しがってた来週の広州行き直行列車(旧正月の混みあいは基地外である)、2枚取ったからね。あ、どこから買ったかは君が知る必要はないよ、知らない方がいいよ、はは、大丈夫、定価で売るよ」ってやる。・・・こうやってビジネスは回る。
5分後に秘書に電話を返して「君のボスの席は取れた」と言うと秘書がびっくりしたように「ど、どこも取れないのに、何でお宅取れるの?」と聴いてくる。「大丈夫、紙飛行機じゃない、ちゃんとした座席付きだ」と笑わせてこっちはすぐにチケット発行、そのままメッセンジャーに持たせてセントラルのお客様のオフィスに届けさせる。
こういうプレミアチケットってのは結局助け合いだ。金ではない、人間関係なのだ。ぼくは同時にいつも九龍駅に行き広東語でダフ屋を捕まえて広州行きの指定席券を依頼してきちんと金を払いダフ屋と良い人間関係を作る。すると次に行くと彼は僕の顔を覚えてて「今度は何日のチケットだ?」と聴いてくる。
こっちは日時を指定して「じゃ、アスクルから用意してくれ」って依頼して現金を渡すこともある。これは博打だが同時に相手を信用したって意味であり、かなり強い。今までこれで裏切られた事は一度もない。中国人が個人的に付き合いを作ったら信用を裏切らないって意味はここにあると思う。
翌日、相手はきちんと指定席券を持ってくる。これで取引終了。お互いに相手の顔は知っているが名前も所属している組織(相手はヤクザ)も知らない。九龍駅で現金が動くだけだ。
ダフ屋ともJALとも良い人間関係が作れる、これが結局ぼくの一番の強みか(苦笑)。
そういうチケットが日本から旧正月の香港に急遽やって来た上場企業の役員の為に使われたりJALの予約担当の友達の為に使われたりする。彼らからすれば僕がどうやってそんなチケット手配するのか意味不明だけど、とりあえずtomに頼めばどうにかなるって事が分かる。
だから時にtomから「ねえ、明日の成田便空いてない?」って聴かれると議員席を出してくれる。これが助け合い(笑)。Yさん、Nさん(上役)、ありがとー御座いました!。
当時香港に駐在している日本人は多くいた。しかし殆どの人は英語を得意とせず広東語に至っては全く話せなかった。だから日本語を話せる秘書は人気があり、秘書は香港人感覚で対応する僕を香港人と思って取引した。
現在のAucklandで、同じような空気を感じるのは最近である。銀行、移民局、弁護士事務所、彼らがいつの間にかぼくを「チーム」として認識し始めてる感じがする。目先の金ではなく長い付き合い、こいつと付き合っておけば日本人のビジネスは取れる、その感覚だ。
こっちも同様だ、お前らと付き合ってりゃうちのお客を大事に出来る。
時代が変わっても、世の中って助け合いだな、そうと思った今日でした。