2014年09月19日

人はパンのみにて生くるにあらず。

昨日は「黒田官兵衛」の8月前半放映分をDVDで観る(うちは会社の福利厚生で日本の番組をテレビ会社から直接買い付けてる=版権ありですよ“にこ”)。

 

戦国時代の乱世を思いつつ夜6時のTVONENHK6時のニュースみたいな位置づけ)でスコットランド独立国民投票前夜のニュースを観て夜7時からは国民党と労働党党首討論を見終わってその後また黒田官兵衛の8月後半放映分を観た。

 

気がついたら「何とおっしゃる、そうでござるか」と思わず武士言葉が口から飛び出してた(笑)。中世の騎士か(苦笑)?

 

いつの時代も人は変わらず。形や武器はどうあれ結局人は生きてる限り戦いである。戦いの中で命を落とすかお市の方のように自害するのか官兵衛の父親のように堂々と戦い最後はゴッドファーザーとして孫と遊びつつ最後は木に寄りかかってぽっくりいくのか、誰にも明日の運命は分からないが、それでも毎日が戦いである。

 

人生が戦いと理解して生きるのと、戦いと理解せずに生きるのでは野生の狼と家畜くらいに生き方が違う。

 

いつも思うのは「人は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない」である。自分が人間でありたい、その為に最低守る原則である。

 

そして官兵衛のセリフ「裏切られても信じる。それで初めて本当の付き合いが出来る」これがまさに戦国時代も今の時代も原則。実感だった。

 

殆どのビジネスマンにとっては毎月の給料を得ることがすべてであり保身と出世以外に自己存在を感じることはない、半沢の世界の銀行員のように。取引先企業が倒産しようが自分には関係ない、つまり半沢の世界のサラリーマンである。それは、上は東大法学部卒業のキャリア官僚であろうが下は地方大学卒で地元信用金庫に働いていようが何も変わらない。

 

ビジネスは信用がすべてだ。大手銀行、大手商社、大企業、そこには看板に信用があるから人々は取引をする、その個人を相手に取引をしているのではないのだ。そして一日の終りに彼らは気づく、大手銀行や大企業は立派だがそこで働くサラリーマンにはあまり信用がないって事を。

 

サラリーマンだって自分の保身と出世がすべてであり、彼らは取引先の事情など理解しようともしない、とにかく自分だけが儲かればよい、自分だけが出世の階段を外されなければよいと考えて目の前に出された餌に喰い付いているだけだってのが分かる。

 

だからまず個人同士で信頼を築くのはとても大変なことだ。更に言えばそれを外国人と構築するのは価値観が違うだけに更に大変である。

 

ところが官兵衛の言う「裏切られても信じる。それで初めて本当の付き合いが出来る」は更にその上をいく。これは本当に殺し合いの覚悟で戦いをしている人間だけが分かる感覚だ。

 

信じるとは相手がこちらを裏切ったからと言って変わるものではない。相手が裏切ったからと言って怒ったりこちらの気持ちが変わるってのは、それは取引だ。単なるビジネスでしかない。単なる取引の世界に「信じる」などという言葉を持ち込むほうがおこがましい。

 

信じるとは、相手が裏切っても、それでも笑顔で「どうしたんだい、何か困った事があったんだろ、何故おれに相談しなかったんだい、何時でもお前のためにドアを開けてたじゃないか」と言うことである。

 

総選挙前日の夜、スコットランド、イングランド、ニュージーランド、戦国時代の日本を観つつ思った。いつの時代でもどこの国でも人間という動物に共通するものは「信なくしては立たず」、そして人はパンのみにて生くるにあらずだ。この言葉がお飾りでなく心からそう思えるようになった時、人は初めて戦士となり自分の人生を歩むことが出来る。



tom_eastwind at 09:57│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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