2014年09月25日

東京国税調査官逮捕

税務調査の相手に追徴税額を減額するように装い、見返りに現金を受け取ったとして、千葉地検特別刑事部は25日、東京国税局茂原税務署の元上席国税調査官・吉崎勝司郎容疑者(49)=千葉市稲毛区、同日付で懲戒免職=を収賄容疑で逮捕し、発表した。地検は認否を明らかにしていない。国税局によると、逮捕前の調査に「取り返しのつかないことをした」と容疑を認めていたという。

 地検と国税局によると、吉崎容疑者は建材運搬業者の男性の所得税などの調査を担当。税務調査を終える直前に、追徴税額を減額するかのように説明した。その見返りとして今年6月と7月の2回、千葉県山武(さんむ)市の事務所など2カ所で現金計25万円を受け取った疑いがある。追徴税額は適正で減額されていなかった。地検は男性についても、贈賄容疑で調べている。

 吉崎容疑者は1985年採用で、昨年7月から茂原税務署に勤務していた。東京国税局の星屋和彦・総務部長は25日に記者会見を開き、「誠に申し訳なく、国民の皆様に深くおわびします」と謝罪した。

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そんなお詫びを言われてもねー。税務署が賄賂もらって何やってんの?って話だ。それに国民の治安を守るべき警察官が痴漢したとかもあるし、一体日本の役人の倫理はどうなってるの?である。もしかして役人社会になっているのを役人自身が実感して「おお、おれは役人なんだ、法律だって何だって俺が勝手に出来るんだ!」なんて思い込んでいるのではないだろうか。

だって自分の所属する税務署は鉄壁であり法的に間違っていても税務署が否認すればOUT!、四国の白バイが止まってるバスにぶつかって勝手に死んでもバスの運転手が逮捕入獄される時代であるから、やり放題といえばその通り。そこには何の理屈もなくとにかく役人だから偉い、お前ら下々は言うことだけ聞いておけ、俺ら役人に口答えするんじゃないって話だ。

そりゃ勿論NZだって100%クリーンとは言えないけど、少なくとも世界の政治クリーン度では毎年1位である。今年は選挙年でありさすがにスキャンダルでもめたがそれでも世界で起こっている政治スキャンダルに比較すればきれいなものである。 

元記事のタイトルは「元国税調査官」とあるが原文を読めば現役で逮捕された事がすぐ分る。何と姑息な話である。 

ただこれを単純に「担当者レベルの間違い」で捉えない方が良いと思う。

というのが僕がこの記事や最近起こる警察官の事件、そして民間で起こる子供同士の殺し合いとか子供を殺して死体をバラバラにするとか、どうも日本社会の「タガが外れた」ような感じを受けるからだ。伝統的な日本の倫理が少しづつ崩れ始めているのではないかって事だ。

伝統は何もなければ本来伝承されるものである。ところがおとなりの中国のように1949年から始まる過去の伝統をすべて否定する共産党革命が始まり遂には1970年代の文化大革命による焚書、知識人虐殺、下放などによる徹底的な知識否定で中国人は根本から変わってしまった。

それまでの中国が4千年の歴史をかけて作ってきた素晴らしい文化(それは日本人が学び伝統としてきたものも多い)をすべてぶち壊し、人間を食し排泄するだけの動物になり下げ果てた。その結果として現在の大陸中国人は世界の中で最も嫌われて最も汚い人種と成り下がった。

もちろん彼らも例えばAucklandで生活をして一個一個の家族単位で見れば良い人が多い。ところがこれが中国人ばかりで固まってしまうとすぐに大陸中国の悪い習慣が出てしまい、どうしてもお互いに憎みあいいがみ合い騙し合うのである。一旦壊れた文化や伝統を取り戻すには三世代くらいかかる。約100年だ。先の長い話である。

日本人の場合伝統的にお互い日本人同士って事で信用出来る素地があった。ところがバブル崩壊後の日本は米国的な雇用習慣を持ってきたり従来の終身雇用や年功序列を否定して功績主義を導入したのは良いが、天秤の反対側にある受け皿をきちんと用意せずにやったもんだから新しい仕組みに馴染めずに次々とドロップオフしてそれが現在の河原のブルーシートに住む浮浪者を生み出した。

1991年に始まるバブル崩壊は1997年の大銀行倒産や最大手証券会社廃業を経験しつつ小泉政権で一時持ち直したかと思いつつもその後の政治のまずさで最後には民主党が思いっきり馬鹿やって船頭だらけの泥船が遂にはヌカミにはまりにっちもさっちもいかなくなって精研を放り出した。

結局この「失った20年」で日本がそれまで持っていた「良い伝統」を次々と失っていき、人々は助け合いを忘れお互いを無条件に信じることを忘れただひたすら自分が生き残ることだけがすべてになっていった。

そういう大人の背中を観ていた子供が今のおとなになった。

ぼくはかろうじてバブル崩壊前の世代であり日本人の古い、とろくさいけどお互いを信用するビジネスを経験してきた。だから今の日本で30代のビジネスマンと話をしていると「こいつら、どこまで馬鹿?」と思ってしまう。

いくら一流大学を出て立派な会社で勤めていようが社会が全員参加の助け合いで成立しているって基本的な事実が理解出来ないのだ。そして彼らは子供の頃にリストラされた親の背中を見て育ってるから他人の事なんかどうでも良い、とにかく今日の飯をどうするか、それしか考えてない。

だから彼らと話をしていても彼らは自分たちの利益になることは一生懸命であるがそれ以外の話は一切聞かず耳も貸さずましてや少しでも彼らの利害に関わるネタになると異常なまでに抵抗する。長い付き合いなんて考えてない。三方一両得とか損して得取れって感覚が理解出来てない。つまり信用というのが全く理解出来てない証拠である。

ビジネスにおいても日常の地域生活においても役人の態度においても間違いなく日本は変化している、それも悪い方向に。日本を悪い方向に引っ張っているのは何も役人だけの問題ではなく日本人全体の問題である。

日本という国をバブル崩壊という未然の大惨事にぶち込んだのは大蔵省、現在の財務省でありその軌道修正が出来なかったのが政治家であるが彼らを生み出したのは間違いなく日本社会である。どっかの国から来たスパイではないのだ。 

今から10年以上前のコラムに「桜の花の咲く頃」だったか田舎の花見をテーマに書いたことがある。有る年の春、子供二人を連れて弘前市のお城の桜を見に行った。

それは素晴らしい桜並木でお城の入り口には屋台が並び美味しそうな肉や魚がジュージューと音を立てて焼かれており、公園ではたくさんの人々が楽しそうにシートを広げてくつろいで老若男女、足を投げ出して楽しそうにお喋りしていた。

家族からすればこんな日本を見るのは初めてであり、ましてや知らないグループ同士が隣り合ったのも袖の縁ではないが、いつの間にか20代の若者グループと70代くらいのグループがお喋りを始めている。

「ねえねえお父さん、あの人達って知り合いなの?」って子供に聴かれた。「ううん、全然知らない人たちだよ。けどね、日本には古くからの伝統があって、お花見の桜の下では誰も嘘を言わないし無条件に相手の言うことを信じるんだよ」 

勿論現実問題としてそこまで甘くはなかったが、やはり世界に出てみると日本人の根本にある「人を信じる」という気持ちは、良くも悪くも日本人が最も多く持っているものだと感じる。そしてそれこそが今、日本で崩れ始めているのではないかと感じる。



tom_eastwind at 07:30│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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