2015年09月15日

青い空の下

昔のAucklandでは月曜日のことをBlueMonday(憂鬱な月曜日)と呼んでいた。土日にしっかり休み山奥に魚釣りに行くんだけど納得出来ない釣り、はまってしまって出社する気なし。

 

なので月曜の朝に自分の携帯から会社に電話して「ごほごほ、風邪をひいたみたいでー」と電話する。すると心ある同僚は「そっか、大変だな、釣れたら俺にも一匹くれ(笑)」なんて牧歌的な話があった。

 

 

憂鬱と暗いのどちらが重いかは別として「暗い日曜日」って歌がある。ハンガリーで1933年に作曲された暗ーい歌で、この歌聴いて自殺した人が百数十人、BBCでは放送禁止曲に指定されたほどだ。(けど戦後この事が事実ではなかった、みたいな本も出てる。歌で死んだのは精々十数人、みたいな)

 

てかこの地方では人が自殺する理由が「太陽が熱かったから」みたいなところがある。戦争の度に領土が取ったり取られたりしててハンガリー?ドイツ?ロシア?みたいな感じなのでまとめて東欧にしておく。

 

ほんとに東欧の人は独特の感覚を持っている。作家であれ小説家であれ暗い・・・。貴族の時代から東西の大国に挟まれ歴史に振り回され同じ町の人間が敵と味方に分かれて戦い自分が個人として何であれ結果は歴史の一コマにしか過ぎず、個として生きることの無を感量したのではないだろうか。

 

日本にも戦後やって来て日本語版に翻訳された「暗い日曜日」は当時の日本人シャンソン歌手にも歌われたが日本で自殺者が出たという記録はない。ハンガリーやオーストリアの人々と日本人の精神性の違いであろう。四谷怪談みたくお化けを見慣れてる日本人からすれば「おいおい、また出たよ〜」あらま〜程度ですむのだろう(笑)。

 

歌を作った人は目標を東欧人にして目標を狙った歌は見事成功した。東洋の端っこの島を狙ったわけではないから印税さえ入ればよい。しかしこの作曲家もその後自殺したそうで、よ^わからん。

 

そんな東欧に比べれば底抜けに明るいのがこのニュージーランドだ。明るく抜けるような青空の下、短パンにTシャツにサングラスで芝生の上を走り回って「何でも出来る、何も悩まない、何も考えない」を実行出来る。いや、もちっと順番を立てて先を考えようよって話だが、キーウィからすれば「大丈夫さ!」である。

 

でもってAucklandのドメイン博物館に行くとそこの3階部分が戦争記念博物館になっているのだがその渡り廊下の壁一面に第一次世界大戦で亡くなった兵士たちの名前が刻まれている。

 

そこで目立つのがドイツ系のシュミットだとか〜ハウスだとか〜すきーだとかまさに東欧の人々の名前である。何があったのか?

 

ニュージーランドが植民地として開拓を始めたのは1840年である。この日付にも意味がある。実はニュージーランド植民会社ってのがロンドンにあってNZの土地を売り始めたのが1837年頃、土地は飛ぶように売れたのだが植民会社は肝心の土地を持ってない。

 

てか当時のニュージーランドはマオリにより実効支配された原始共産制で「土地の私有」という発想がないので売り物が存在しない。英国政府は少し考えて「そういや最近英国市民に不満がたまってるな、ロンドンにはもう土地がないし郊外は貴族が持ってて中産階級にとっちゃ治安の悪いロンドンで不安なまま過ごして政府を突き上げるより植民地に送り込もうぜ。よっしゃそれならひょうたんから駒だ、マオリに私有制を認めさせて土地を白人に売らせようぜ、そこに植民者を送り込むんだ」

 

期限は1840年年末まで。その頃には第一回移民船がニュージーランドに到着する。急遽送り込まれたホブソンはマオリとの交渉にあたり何とか契約をまとめあげる、これがワイタンギ条約、そして各地に上陸した移民船が各地で開拓を始めたのだ。何故1840年かと言えば裏にはこのような話もある。

 

しかし面白いのは更にその後だ。最初は英国人だけを送り込んでいたがしょせんは中産階級、手に豆を作って小麦を作り英国から持参した大きなのこぎりで大木を切るには体力なさ過ぎる。そこで次のグループとして白羽の矢が立ったのが東欧の人々である。黒い森や東欧の原野に慣れた彼らを建設労働者として呼びこむことにした。

 

19世紀の戦乱に燃える東欧では農民の畑は潰され子供は兵隊に取られ何の未来もなかった。このままここで生きていくしかないのか???そこに英国からやって来た移民募集団がビラを配った。「青い空のニュージーランドに行きませんか!船はこちらで用意します、土地もあります、さあどうぞ家族で移住しましょう!」

 

そのビラを読むか字が読めない人は他人に読んでもらい「そりゃすげえ!」ってんでハンスシュミットとか何とかハウスとか何とかスキーが大量にやって来たのだ。日本で言えばたろちゃんとしんちゃんといちろうちゃんだ(笑)。彼ら東欧移民に与えれた仕事は鉄道工事で原生林を切り開く事だった。

 

ニュージーランドの原生林であるカウリは世界で2番めの高さになり胴体は太く木は硬い。そんな原生林を伐採しつつ乾いた土の上で寝ることも出来ず故郷の家族に「ここは大変だ」と訴えもしたが、原生林を切り開き鉄道が通り自分たちの土地をもらえてそこに食品作物を植えて羊を飼い、大草原の小さな生活が始まった。

 

当時のNZは医療と教育に力を入れており第一世代は英語も出来ず苦労したがNZで生まれた彼らの子どもたちは学校に行き普通に英語を話しキーウィとしての自覚を持ちいつの間にか青い空の下で「僕には何でも出来るんだ!」とかんがえるようになった。

 

それから約30年、子どもたちの子どもたちの世代になって第一次世界大戦が始まり多くの若者が欧州に送られた。勇敢な若者キーウィと豪州の兵隊はガリポリや西部戦線など再激戦地域で英軍やカナダ軍を押しのけて真っ先に突撃して戦った。

 

その結果として両国ともこの世代は結婚出来ない女性が急増した。若者が欧州から戻って来なかったからだ。

 

それでも第二次世界大戦、朝鮮戦争、マレー独立戦争などキーウィは英国及び国連主導のもと兵隊を派遣しつつ第二世代、第三世代と続く内に英国民と東欧系列の人々もなくなり、そこには元気で明るいキーウィが出現した。シュミットでもハウスでもスキーでもない、たろちゃんしんちゃん一郎ちゃんの出来上がりだ。

 

生まれた場所によって、つまり東欧に生まれたかNZで生まれたか、それだけで先祖が同じでも性格や考え方は変化する。これは人間が後天的に変化出来るって意味だ。遺伝子の奥の部分は変わらないしても2世代も経てば暗い東欧人が明るいキーウィに変身するのだ(笑)。

 

今のAucklandは牧歌的な風景は減りビジネスマンが真面目に働き始めている。それでもお気軽な点は以前とほぼ同様である。銀行に送金依頼をすればゼロが一個違ってるし(笑)バスは道を間違うけど、誰もが青い空を見て「大丈夫さ!」

 

まあいいけど、月曜日は会社に来いよ(苦笑)。



tom_eastwind at 17:30│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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