2015年10月11日

モンスターペアレンツ

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埼玉県の保育所にて、200111月に園児同士のケンカがあった。

このとき軽い引っかき傷を負った園児の保護者が激怒した。

女性所長に苦情を繰り返し、自分の子どもに対するつきっきり保育を要求。

20日間にわたるつきっきり保育では「日陰で遊ばすように」などの細かい指示が加わり、所長は神経をすり減らしていった。

 

2002年初めに園児は退所したが、保護者からの苦情がやむことはなく非難は続いた。所長は食欲が減退し夜には眠れなくなる。

20023月、その所長は、保育所敷地内で灯油をかぶって焼身自殺をした。

残された遺書には「私の苦しみをそっくりお返しします」と書かれていた。公務災害に認定される。

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こわ、こんな事件があったのだ。週刊ダイアモンドの記事より。

 

日本ではモンスターペアレンツというのがいるようだ、よくニュースで見かける。彼らがいつも使う言葉は「不公平!」である。それに対して理論的に抵抗できない先生はついつい従ってしまう。先生という安定した職業を選んだ時点で戦闘能力低そうだなって感じがするけど、先生、あなたもっと強くなりなさいよ。

 

世の中に皆が平等に自動的に与えられた公平なんてない。世の中は最初から不公平で不平等だ。その現実を認識した上で、じゃあどうやれば世の中の皆が「上向きの平等」になれるかを考えるべきだ。

 

だから親に対しても「不公平?当然でしょ、背の高い子もいれば可愛い子もいる、世の中に出る勉強をしているのだから世の中が不公平だって事を教えるのも教師の仕事です」とはっきり言い切れば良い。

 

演劇の舞台の主人公は一人だ。けどどんな脇役にも個性がある。他人にない個性を伸ばせば良いだけなのだ。先生の仕事は子どもたち一人ひとりの個性を伸ばすことなのだ。

 

ところが日本では学校教育の根幹にあるのは学問を教える場所ではなく型にはまった兵隊作りをする場所である。一人ひとりの個性をゆっくりと時間をかけてすり潰して上司の命令一つで右向け右!と出来る立派な兵隊を作るのが日本の学校教育だ。つまり学校を卒業した時点で全員が金太郎飴のように同じになるのだ。

 

皆が横並びで成長してちびものっぽもいつの間にか「理論的背の高さ」に統一される。だから「不公平!不平等!」と言われると不公平はあるべきではない=あるはずはないと考えてしまいモンスターペアレンツに抵抗出来ないのだ。

 

教師はモンスターペアレンツに対して戦うべきだ。はっきり言えば良い「教育は私の仕事です、素人のあなたが口を出さないで下さい」と。

 

僕がいつも思うのは日本人の理屈って理想論から入るから「あるべきではない=ない」となる。ここがおかしい。どんなに否定してもあるものはあるのだ。現実は否定出来ない、のっぽもちびもいるのが世の中だ。

 

現実的にのっぽの背中を削りちびの背中を伸ばす事は出来ない。だからまず最初に現実を見つめようよ、そしてどうあるべきかを語ればよい。そしてモンスターペアレンツが何か言ってくれば「バカな子供は産んだお前の責任だよ」とでも言い返し、預かった子供を愛するか馬鹿親に返せば良い。

 

ジャッキー・チェンの「探偵物語2」の最後の場面でジャッキーが子供に語る、「世の中ってのは不公平なんだよ、だから戦って強くなって公平を勝ち取るしかないんだ」

 

まさにその通りである。平等とか公平が何の努力もなしに天から降ってくるとでも思ってるのか?甘えるんじゃないと言いたい。

 

モンスターペアレンツというのがいれば一度喧嘩してみたいものだ。先生もバカ相手に弱みを見せているからなめられる。学校も教師だけでそういう連中に対応するのではなく僕のような外部の人間を入れて議論させてもらえば教師の被害も減ると思うのだがいかがだろうか。



tom_eastwind at 12:34│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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