2016年06月06日

二人の老練なるビジネスマン

今回は東京で2回お客様と夕食である。最初の方はお付き合いが30年近くになる。香港時代に非常にお世話になったお客様(繊維関係)でありその彼が香港を引き上げて東京に出てきて今度はレストランビジネスを始めた。

 

これがまた大成功して日本国内に次々と出店中なのだが、この方からAucklandの会社に電話をもらったのが一ヶ月ほど前。「よー、どうしてますかー、飯食いましょうよ」とお呼ばれを頂き今回は恵比寿のざっけない小料理屋のカウンターでいろいろと話をする。

 

この方は1980年代から90年代にかけて香港で成功したビジネスマンで当時はお世話になったが、それがまた日本に戻ってまで繋がるとは本当に世の中は面白い。

 

彼が凄い点は自社の売上を話す時も堂々としており全く嫌味がないところだ。そして現在のビジネスモデルに転換する際も、なんてか“さら”っとやるのだ。

 

威張ることもなく堂々と自慢するのに、まるで子供がおもちゃを組み立てて「ほら出来たよ!」というような感じである。

 

僕がニュージーランド移住するので退職の挨拶にお伺いした1996年、彼のオフィスは香港の九龍側、クントンの工業地帯にあった。

 

「え?ニュージーランドでっか!すごいですな!」と、すごいびっくりされた。この時彼は自分の方が海外で数千倍凄いことをやっていることを意識していないのが彼らしい。

 

彼にとってニュージーランドは想像もつかない国でありそこで知り合いがビジネスを20年もやっていると聴いて興味を持ってくれるのだろう。僕のビジネスモデル、とくに医療通訳に興味を持った。そして一旦興味をもつと一気に話を核心へとぐいぐいと食い込んでくる。

 

医療通訳のビジネスモデルは、日本の保険会社と当社が契約して日本から来た旅行客に旅先での医療通訳を提供するものであった。

 

旅行客からすれば現地で無料で診察、通訳、薬がもらえるわけで有り難い。保険会社からすれば途中に介在する会社(アジャスター)を通さないので安く収まる。

 

ご本人は「ほー、それで月に何人ですか?」と普通に聴く。僕は普通に「年間で約1,000人です」とお答するとびっくりされるがすぐに理解してもらえる。実に頭が柔らかいのもこの方の特徴である。

 

その後彼が最近福岡に出店したお店の様子などお伺いしながら美味しい食事と会話を楽しむ。

 

次はいつですか日本出張、715日頃ですと答えると、じゃまた飯食いましょう、予定決まったら電話下さい、絶対ですよ、はい分かりました。

 

お二人目はAucklandで長い付き合いで新橋の飲み屋街で夕食。この方は目から鼻にぬけるスマートさがありむちゃくちゃに計算が早く回転が早く精神力が強い、もうどんどん押しこむ話をするんだけどそれが当たっている。

 

言われてみて「あ、そうか」と気付きがあり、やはり先達の言葉には学びが多い。彼は20代で起業して成功してバブル崩壊も生き残った本当に数少ない経営者である。

 

そんな人の言葉だから内容は半端なくきついけど彼が僕を東京で夕食に呼んでこんな話をするのも何も彼に話し相手がいないからではない。有り難いことである。

 

今回は特にAucklandの郊外不動産について長期投資の視点で話をする。郊外に土地だけ買っておいていずれ開発の波が来た時に売り抜ける、5年単位のビジネスだ。

 

このお二人はいつもお供なしで自分一人で行動する。大名行列は不要である。自分で会社を作って自分で判断して行動する。人を侍らかすことを喜ぶことの無意味さをよく理解しているからだ。

 

それにしても東京最後の夜は烏森神社のふもとのお寿司屋さんという何とも奥深い新橋でした。



tom_eastwind at 15:30│Comments(0)TrackBack(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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