2017年09月16日
大風の中で
オークランドに戻る飛行機は結局出発が2時間遅れ。とにかく中国からの飛行機が集中して混み合っている上に台風が近づいてきてて滑走路の空きがない。
機長のアナウンスでも「いや悪い、甘く考えてたが、2時間ほどこのまま待機するしかない」との事。おそらく管制官と喧嘩でもしたのだろう、語尾がかなり尖ってた。
けどこちらはオークランドから先の乗り継ぎもないし金曜日は自宅に戻るだけだ、機内に座り誉田哲也のジウを読んだりマット・ディモンの映画を観たりするだけなので空を飛んでいようが地上にいようが大きな違いはない。所詮人間、座って半畳あればよい。
それにしても今回の日本出張は気疲れがきつい。何で人間ってこんなにめんどくさい事をわざわざ作るのだろうか。
保身?人は一定期間を過ぎれば必ず死ぬ。
見掛け?着せ替え人形でしかない。
格好つけ?あたしっていけてる、それ程頭良いのか?
もっと、何のために生きているのかを明確に理解して長く生きるのではなく善く生きる事を考えたほうがよほど楽しいだろうにと思うのだけどな。
僕は厚労省に協力するわけではないが、ピンピンコロリはお勧めしたい。元気なまま老後を過ごし孫の面倒を見ながら人生の余残を楽しみある日ピタリと人生を終わる。
こんな綺麗な人生はない。
それに比べれば親というだけでもう実質的に死んでるのに見栄えと親戚付き合いのためだけに身体にチューブ付けて生命維持ってのは、どうなのかなって疑問に思う。
勿論世の中には色んな価値観があるし宗教の問題もあるから僕がどうこう言う問題ではないが、うーん、実質的に死んだ状態で肉体維持装置付けて親戚のメンツ守るだけのが良いのか?
これが日本の習慣ですよって言うならあまり従いたくない習慣である。
ほんと、日本の官僚は頭が良いからこれから先必ずピンピンコロリを推奨してくると思うし、その部分は僕も彼等と同意見である。やってくれ。
そしてその時に国民が「お上がこう言ったから姥捨て山に送る」になるのではなく、自分の頭でものを考えて「俺達が払う税金はもうすぐ死ぬ年寄りにではなくこれから社会を作る子供の教育に使うべきだ」と理解すべきだろう。
大風の中で考えてみる。ジウのような新しい秩序。