2017年09月22日
作家談義
最近は誉田哲也にハマっている。オークランドで「新宿セブン」を読み、Amazonで「ジウ」3作を購入して日本滞在中に悲しみながら読み、今読んでいるのがやはりAmazonで買った「国境事変」。
ジウでは在日中国人がテーマの一つになってたがそれほど強くない。ところが国境事変では明確に北朝鮮問題を取り扱っている。
ジウでは中国語で「ぼくはここにいる!」と言う場面があるが、カタカナ観た瞬間にああ、これは「僕はここにいる!」だろうって分かったが、考えてみれば分かる僕のほうがマイノリティなわけで分からない人が普通なんだからその後の物語の悲しい展開も理解出来る。
同時に堂場瞬一も読んでいる。本は「積ん読」てのがあるが僕の場合は嵐読みである。ある日気が向いたらAmazonでお勧めを観てレビューをさらっと観て10冊単位でまとめ買いしてNZに送ってもらったり東京のホテルに送ってもらったりする。ばばっと買って一気に読む。全く便利な時代になったものだ。
けど時代が進化しても脳みそは変わらないので本を読む速度が上がることはない。唯一読了が早くなるのは作者の「読ませる力」である。
その意味で誉田哲也ってのは腕がいいな、とにかく読み始めると止まらない。明日は仕事あるのに夜の12時まで読んでたりしている。
それの対局なのが堂場瞬一であり、すらすらと軽く読めて早く読めるけど何時でも止められる。どちらも現代の作家として実に腕が良い。
今までも大沢在昌、宮部みゆき、池井戸潤、黒木亮、読みやすくてドキドキさせてくれる作家はたくさんいた。古くを言えば司馬遼太郎、五味川純平、山本周五郎等も実に人生観を揺さぶる作家である。
本を読むと言う習慣を持って本当に幸運だった。世の中には知らなくて幸せって人は多く知ってしまって不幸になるってのもあるけど、僕は知りたい、この世の中の真実を。
だから今も本を読む。下水溝の蓋を開いて汚いものを観てそれでもこれが人生なんだって理解する方が、何も知らない昼あんどん連中よりも自分を納得させられる。
本を読むって幸せを求めることではなく真実を求めることだから、単純に幸せにだけなりたい人は本を読まない方がいい、またはハーレクインに集中した方が良い。