2017年12月18日

人は何時の日か死ぬ。それは100年後かもしれないし明日かもしれない。昭和半ばなら交通事故とか公害。最近なら空飛ぶタイヤとか外国でテロに巻き込まれるとか、人は常に死と隣り合わせである。

 

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死は、等しく誰の上にも訪れる。だが全ての人間が自分らしい死に方を選べるわけではない。生と死、こちら側とあちら側、勝者と敗者。この世界には厳然としたルールがある。注意深く行動したものだけが、他者を出し抜き、自分の生を全う出来る。

「水葬の迷宮」麻見和史著

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多くの日本人は癌等の病気だけを異常に恐れている。癌になったらどうしよう?定期検診しなくちゃ。けど恐れるのは癌だけではなく「生を全う出来ない死」そのものであったり人間らしくなくなった時ではないだろうか。

 

上記の文章の「他者を出し抜く」とは、少し意味を変えればそれこそすべての「死と言う名前の他者」を出し抜いて生を全うすると理解して危険に注意して行動するという事だ。

 

例えば目を閉じ耳をふさいで自転車を運転すれば事故起こすのは当たり前だ。高速道路を逆走すれば事故をおこすのは当然だ。タバコが肺がんを引き起こすのは医学的にも証明されている。JTだけが何とか否定しようとしているだけだ。

 

なのに一部の日本人は日頃注意深く行動せず自転車漕いでケータイカチャカチャやって耳栓して他人を轢き殺してみたり高速道路を逆走したりかっこいいと思ってタバコを吸ってみたりして肺がんになる。

 

もちろん長生きする事だけが人生じゃない。生き残るだけのストイックな人生じゃなくて、例えばスキーを楽しんで山で転倒して死ぬこともある。サーフィンを楽しみサメに食われることもある。冬山で凍死することもある。けどそれは人生の質を向上させることに繋がるから、単に長く生きるのではなくよりよい人生を過ごせるのだ。

 

自分だけ死なないとか、死にたい時に死ねるけど何時まで経っても死にたくないから結局長生きして心臓も血管も脳もしっかりしているから最後の病気であるガンを発病して人生の最後に苦しい闘病生活を送り痛みと苦しみの中で身体をボロボロにして死んでしまう。

 

けど、ガンであってもピンピンコロリと言う生き方もある。それこそ僕の近隣では老齢で骨髄ガンを発症したけど何の治療もせずにガンの進行もなくそのまま12年くらい普通に生活をして、ある日急に体調が悪くなり病院に入ってその3日後くらいに亡くなった人もいる。こりゃ立派なピンピンコロリである。

 

数日前も延命治療で書いたけど、体中にチューブ付けて脳死状態で何年も生きることが良いのだろうか?

 

癌を恐れ定期検診を受けて毎回どきはらして癌じゃないと分かってタバコ吸ってまた半年後にどきはらするよりは、なんか他にすることないのかなって思う。

 

これから老人が急増する。其の時に個人としての心構えが出来てないと、随分とみっともない死に方をする事になる。死に恥になるのだけは避けた方が良い。



tom_eastwind at 16:13│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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