2017年12月21日

デバイド・貴方と私の分水嶺。

昨日で今年の会社の営業も終了。昨日は近くの寿司屋で出前を取ってスタッフが揃って昼頃から寿司を楽しむ。そして午後から各自仕事が終わり次第退社。

 

退社と言っても各自の仕事が残っていれば自宅で対応することになる。当社の仕事はネットに繋がったパソコンがあれば世界のどこでも仕事は出来る。

 

なので用事があれば早めに退社して自宅で子供を寝かしつけた後にでもパソコンを開いて仕事をするフレックス勤務が可能である。

 

それにしてもインターネットとパーソナルコンピューターは世界を変えた。まさにベルの電話の発明以上である。

 

1970年代の旅行業では、英語不要、コンピューター不要であった。最先端であるべき業界が実に田舎暮らしをしていたものだ。

 

とにかく豪腕営業がすべてであり、高校の先生の自宅に夜討ち朝駆けして修学旅行取ったら偉いとか、市役所に取り入り酒飲み営業が普通だった。

 

そんな所に英語やワープロを持ち込む若者が出て来た。そして彼らは新しい時代を作っていった。

 

ところが東京にいる上層部、つまりタバコを吹かし酒を飲み、データを読まず現場を見ずに下っ端に指令する連中は「英語など不要!」とか「パソコンなど不要!」とか、要するに自分が若い頃にやって来た「精神力と体力勝負」が全てであり自分が使いこなせない道具を排除しようとしたのだ。

 

英語に至っては「そんなの現地日本語ガイドを雇えばいい!」となる。

 

オフィスワークデバイド(職場労働の二極化)はいつ始まったのか。少なくとも1970年代後半だと思う。何故ならその時に僕が高校生でコンピューターを扱い社会人になって英語の勉強を始めた記憶があるからだ。

 

1980年頃には職場にワープロが持ち込まれるようになった。当時は1行しか観えないモニターで1文字ずつ打ち込む方式だ。

 

古株の連中は相も変わらず手書きで工程表と見積もりを作り少し賢い連中は和文タイプライターを使っていた。

 

そんな現場に若者がパソコンを持ち込みパチパチしだしたもんだから英文キーを叩けないおやじ達は固まるか珍しがるかしかなかった。

 

その頃になると英語が使える若者が旅行会社に就職するようになった。少しづつ旅行業が世間に認められるようになりJTB等大手は優秀な人材を大量に確保出来るようになった。

 

その結果としてオフィスでの働き方が完全に変化した。新しい働き方に付いて行けた者が生き残り古いままの人々で出世が出来なければ1991年のバブル崩壊以降次第に子会社に出向することになった。

 

そして次に来た職場の変化が1990年以降の旅行業界のデジタルデバイドである。本格的なパソコンの導入とインターネットを利用した旅行サービス提供。元々旅行業では1970年代からコンピューターが導入されていた。

 

当時の国鉄と呼ばれた現在のJRでは日立が作った「マルス」と言う座席予約装置があった。僕も何度か扱った事があるが、あれはもう芸人技である。

 

全国全ての駅の名前が路線ごとに書かれたA5サイズ鉄型ノートページになっており、担当者はこのページを読みもせずにめくって当日発売の東京から新大阪までの新幹線の座席を予約する。それはまるで座頭市の抜き打ちみたいである。

 

他にも国内航空3社はすでにコンピューター化されていたからそこでは毎朝一定の時間になると担当者が機械の前に座り予め営業担当から受けていた注文用紙を観て取れやすい順番を一瞬で考えて発売時間の2秒程度前からフライングモードで打ち込み始める。当時は名前入力が不要ですべては日付、区間、座席数だけであった。入力が成功すれば予約番号だけが出てくる。

 

余談であるが顧客の名前が出てないのでとある旅行会社ではどうしてもその飛行機に乗りたい乗客に正式な予約番号から推測した番号を渡して早めに空港に行かせて座席に座らせた。後から来た正式な乗客は自分が正式だと主張する方法もなく航空会社もぎりぎりまで待たせて政治家用の座席を提供することになる。40年前の話だ。

 

このようにすでに旅行会社は予約システムとして外部端末を扱っていたのに一般向けのデジタルデバイドでは既存の旅行会社が遅れを取り新規参入のネット企業がホテル予約システムを先に構築した。1996年に創業された「旅の窓口(創業時はホテルの窓口)」である。

 

これが大当たりした。その後楽天が買収して方向性が変化するが、元々は旅の窓口はシステムエンジニアが作った「利用者(宿泊客)と供給者(ホテル)の間のプラットフォーム」であり、今までの旅行業界のような「情報格差を利用して旅行業側に都合の良い商品を売る仕組み」ではなかった。

 

だからその後大手旅行会社が遅ればせながらネット手配に参入するがどこも既存の旅行業の発想でビジネス構築するからデジタルデバイドのこちら側にいる人々には敵わない。てか、デジタルデバイドに取り残された人々が旅行会社の商品構築決定権を持っているのだからどうしようもない。

 

旅の窓口は楽天トラベルと合併し方向性は変化したが日本の大手に成長した。日本の旅行業は自立する能力があったのに自立できなかった。それは東京の経営陣に理解力がなかったからである。

 

以前も書いたがHISが誕生して成長した時にJTB首脳は「あんなの旅行会社じゃない!」と言ったが、消費者から観てどう思うだろう。

 

旅行業は何の在庫も持たない産業である。だからこそ時代の変化に敏感である事が肝要だ。ところが各社のトップが社内や業界内にしか眼が行かず時代の変化に同期出来てない。

 

JRでは北海道と四国を除く各社が危機感を持って業態変換を行い時代に同期しているが、その子会社である旅行会社が親会社の庇護の元でのほほんとやっているのは実に不思議な感覚である。

 

オフィスワークデバイド、デジタルデバイド、何時も時代に取り残されているのは古くからの旅行業大手なのだろう。



tom_eastwind at 11:07│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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