2017年12月29日
海の京都
京都では年間約320万人の観光客が訪れるがその三分の一が中國からのお客。ところが彼らは京都市内に宿泊するだけで天橋立など北京都を訪問することがない。
そこで京都として日本海側に面する北京都、つまり海の京都を紹介するために中国人有名ブロガー達を招いて実際の「海の京都」を知ってもらうように企画した。
ここまではごく普通の筋書きであり良い話である。観光が栄えるのは元手のかからないビジネスである。昔からある迷惑者なドカ雪や地吹雪が売り物になる。
お寺や神社に外国人が来てくれて、追加投資といえば英語や中国語の掲示板と公衆トイレを増やすくらいだろう。
しかし観光産業につきものなのが「文化の違い」である。中国人はトイレを流さないとか出てくる。
でも1970年代に農協が首からカメラぶら下げてパリに団体旅行に行った時にフランス人が文句言ったか?
西洋式の風呂の入り方が分からずバスルームを水浸しにした日本人。下の部屋までびしょ濡れだ。次の日の予約していたお客に部屋が使えない。洋式トイレに足の裏で座り込んで便座を壊す日本人。そりゃ当時はひどかった。
それに比べれば今の中国人がやっているのは、モノを壊さないだけましである。朝食のビュッフェ会場からゆで卵を持って帰るとか買い物場所で大声で騒ぐとか。
日本は外国人が何度も訪れてくれる観光立国になれるだけで立派である。今、誰が韓国に何度も行くか?
たしかに中國の観光もすごい。1980年代に万里の長城を訪れ八達嶺でバスが止まった時、お土産屋の横には無料トイレと有料トイレがあった。
明の十三陵を回った時にはあまりに広さに自分のバスを見失った米国のご婦人が眼を釣り上げてギャーギャーと走り回り僕らの乗ってるバスが日本人と知った途端に飛び込んで汗を拭いていた。
観光とはそんなものであろう。お互いの文化の違いを知る、そして自分をより深い存在にしていく。違いを理解して許容度を高めて何が普遍的文化で何が時限的文化であるかを理解する。
日本が戦後海外旅行を自由化された等と言うと今の20代からしたら「え?」って感じだろうが実際に戦後日本人は自由な海外旅行を許されてなかった。
自由な海外旅行が許されて日本人は首にカメラぶら下げてパリに行きアロハシャツでハワイに行き現地では随分と笑いものになった。
けど今は日本人も海外文化を理解して旅先できちんと過ごすことが出来るようになった。
中国人は日本人よりも長い歴史を持った人々である。彼らは文化大革命で長年の文化を破壊されたが、見る限りそろそろ次の世代が育っている。若い世代は昔の香港人のように、洋の東西の使い分けを理解しだしている。
西洋人向けにはこう、中国人向けにはこう、そうやって文化の中継ぎをしている。
日本はこれから中國からの観光客を取り入れるためにも各地の観光局に日本の大学に留学している中国人留学生をパートで採用して、彼らの視点で自分たちの街をどう観光地にしていけばいいかを考えればよい。
今の中国人の若者は実に賢い。12億人の中で揉まれ鍛えられた若者は実に有用である。彼らを日本に取り込み中國からの観光客呼び込みに使い、そして共産主義ではない中国人と仲良くなれば日本は必ず良くなる。
昨日は暗い日本の将来を書いたが観光においては別の話である。パリの恋人達ではないが、金沢では桜の季節にまさに桜花の下を和服を着た若いカップルが歩く。彼らは中國から来た若者だ。
日本と中國は本来的に仲良くなれるはずだ。お互いの鎧を下ろしていけば、今なら平等に付き合えるはずだ。相手はすでに中國であり共産党ではない。むしろ日本の方が共産党である。
そろそろ対米従属官僚と言う仕組みを壊して素直な日本人を全面に出して中国人と付き合い、日本海ビジネスを再開する事が日本にとっては国益ではないか。