2018年02月26日
電話にでんわ
以前も書いた記事だけど、携帯電話に出ないだけで怒る人が日本には時々いる。電話をかけたら必ず取るのがその人にとっては常識なのだろう。だから電話を取らない他人を電話を取らない事だけを理由に怒ることになる。
しかし受け取る方にも受け取る方の常識があり、受け取る方からすれば他にやることが山ほどあるのにいちいち電話でたった一人に縛られることの無駄な時間の使い方は耐えられない。
これがメールやチャットであれば一度に何人ともやり取り出来る。また後で処理するのも可能である。しかし電話はその場で一人しか対応出来ない。
また電話の大事な問題点が「言った言わん」になることだ。ベルが電話を発明した時代なら偉大な進化であるが21世紀のインターネット時代に時差連絡が出来て文字で記録が残っていれば言った言わんの議論は不要である。
けれど日本ではまだ電話が一般的なようで特にビジネスパーソン同士の場合、電話をよく使っている。東京や大阪の街中を歩いてても「歩き電話」をする人は目立つしそれはそれで理由があるのだろうが、いやー、日本は付き合いが大変だなと思う。
ニュージーランドでは日本の本州くらいの規模の国土に450万人しか住んでないわけで人口密度が低い。
1980年代の人口300万人のNZはテレビとラジオと新聞が情報網だった。特に地方の農家などは幹線道路から奥まっているので郵便箱は幹線道路沿いに置いておく。
すると田舎の郵便配達員がやって来て郵便を郵便箱に入れてくれる。もし自分が郵便を出したい時は郵便箱に現金または小切手と封筒を入れておいて自分は農場に働きに出かける。
では詳細情報のある新聞はどう受け取るか?これがなかなか豪快である。
当時は例えばクライストチャーチからクイーンズタウンを走る長距離路線大型バスの運転手が時速100kmくらいの高速で走りながら目的の農場に近づいたら運転手の足元に置いてある新聞を棍棒風に巻いて右側の窓からバスの屋根に向かって思い切りぶん投げる。すると新聞がバスの上を飛び越して反対側の農場の郵便箱の近くに落ちるという方法だ。
毎日配達先は分かっているので運転手が新聞配達しているようなものだ。バスをいちいち止めるなんてやらない。だから雨の日の新聞なんてびしょ濡れだけど読む方は全然急いでない。暖炉のそばにおいて乾かしてしわくちゃの新聞を紅茶を飲みながらゆっくり読むのである。
田舎に住んでいるとクライストチャーチやウェリントンに出かける時間がない。なので当時は通販雑誌を取り寄せて気に入った品物を見つけたら封筒に小切手を入れて洋服やコーヒーセット等を購入したものだ。
そんな田舎にインターネットがやって来た!これはある意味日本でインターネットが普及するよりもその衝撃は大きく人々は一気にインターネットにシフトした。
今まで通りテレビやラジオは見聞きするけどインターネットの情報が新たな情報収集手段となり通販で何かを買うにしてもインターネットで実物を確認出来るTrade meが大流行となり遠距離にいる人々と連絡を取るのはスカイプやメールが中心となった。
そんな社会では60過ぎの人々でも普通にタイプをしている。そりゃそうだ、インターネット技術は元々英語をベースにしているしキーウィは英文タイプライターを打っているので文字入力にも抵抗がない。
彼らがネット生活に慣れていくと次第に電話を使うよりもメールにシフトしていく。その方が時間が自由になるからだ。こうやってベル以来の電話文化はインターネット通信文化に大きく変化した。
テレビだってラジオだって以前は「その時間にそこにいなければ観られないし聞かれない」道具だった。その意味でテレビやラジオが個人や家族を独り占めしていた。
しかし現在では録画もあればオンデマンドもあるわけでインターネット技術で人々は時間的自由を得ることが出来るようになった。
そしてその先にくるのが携帯電話の普及である。電波さえ届けばNZ中どこにいてもメールもチャットも出来る。
1980年代だと一度農場に出ると夕方自宅に戻るまで一切の連絡手段はなかった。現在はケータイ一つ持っていれば農場で仕事してても連絡が取れる。畑でトラクター動かしている時にテキストが入れば後で返事出来る。
iPhone等スマートフォンの出現で通話機能も持つ携帯パソコンが出現した。農場で働きつつ天気チェックが出来る。畑に霜が降りるような時期は畑に設置したセンサーが作動して自宅にいるオーナーの携帯電話に連絡が入る。
機械とやり取りするのに会話は不要でありボタン操作のみで畑の霜取り装置を起動させることが出来る。
実はインターネットやスマートフォンの恩恵を受けているのは都会に住む日本人より田舎な国であるキーウィの方でありそのままビジネスにつながっているので恩恵度は大きいのではないかと思っている。

