2018年06月11日
殺されたって死なねーよ
勝新太郎の「兵隊やくざ」を観ているが、実に快感である。「殺されたって死なねーよ」の精神が張り巡らされている。
北支に派遣された勝新太郎と田村高廣(上等兵)が一触即発の危機をすり抜けながら何度も死地を逃げ出す。その度に勝新太郎がにこっと笑い「上等兵殿〜面白いですね、がはは!」と笑う。
勝新太郎は徴兵前は東京でやくざをしており人を殺したことがある設定だ。田村高廣は優秀な大学を卒業したものの絶対に将校にならないと決めて一切の昇進試験を拒否して上等兵止まり。しかしその実力は法務中尉クラスである。
この二人が戦争終了直前の北支で様々な事件を起こしながら絶対に諦めずに戦っていく。全く身分の違う二人が心を一つにして難局を乗り越えていく中でお互いを認めていく。
そして終戦。ほんとに戦後の日本の文化の発達は面白い。
終戦後は中ソから金を貰って日本を弱体化させようとした社会党は上は国会から下は労働組合まで無茶苦茶にした。
CIAのエージェントになった日本の上流階級は米国に面従腹背して軽武装で経済発展に力を入れた。
つまり日本の政治そのものが中ソと米国に別れていて、日本と言う主体がなかったのである。
本当に当時の日本はスパイ天国であった。世界中のスパイが集まり各国大使館で情報交換して本国に持ち帰り、日本政府は逆にそれを利用した。
そういう狐と狸の化かし合いがずっと続いてた1970年代などは、テレビに出る偉そうな文化人とか裏では中ソのかね受け取って表ではテレビ局から出演料もらって偉そうに理屈並べてた。
こんな日本でまともに生きていけるか?
そんな1970年代でも経済成長があるので国民は文句を言わない。「ペンは剣より強し、しかしパンは剣より強し」である。
国民はとにかく生活が安定して飯が食えればよいのだ。
ところがバブル崩壊と中途半端な成果主義の導入で日本の企業生活は崩壊した。明日首になるかもしれない、給料が下がるかも知れない、ボーナスが貰えないかもしれない。
特に1980年代に自宅を買って「一国一城の主」となったサラリーパーソンはきつかっただろう。住宅価格は下がりボーナス払いを予定してたのがボーナスで払えず銀行から貸しはがしを食らう。
けどなー、そんな時に勝新太郎のようにガハハと笑って「おりゃ、殺されたって死なねーですよ!」と言えるだけの人々は少なかった。
全く人生は荒波だし板子一枚下は地獄であるが、戦後長いあいだ政治を政治家に任せ自国の行先を考えず目先の仕事だけを追ってきた人々は足元が不安定であるって事に全く気づいてなかった。その結果としてドボンと落ちた。
今の時代、生きていくってのは「殺されたって死なねーよ」という気持ちを持つことであろう。これはもう理屈ではない。精神論であるが、周りをよく観て政治を観て自分の生きてる場所を見れば自然と答は出てくる。
絶対に諦めない。最後の瞬間まで精一杯やる。そのために平時の情報収集を仕事として行う。これだけやってこそ「殺されたって死なねーよ」と言えるのだ。