2018年06月27日
フェイクニュース1
人間誰しもどこかから情報を得て行動のきっかけとする。それがメディアなのか他人の話なのか自分の目や耳など6感なのか、いずれにしても様々な情報入手方法がある。
例えば関東大震災時は多くの流言が飛び回った。「被服廠跡!」とかとにかくそこかしこに流れる多くの人々の流言によって人々は彷徨い、ある人は火事に巻き込まれて死んだが、ある人は自分の目で空を観て助かった。
最近の問題でフェイクニュースというのがある。
例えばロシア政府が堂々と報道するような国際ニュースから、テレビでやる誤報、マスコミの悪意ある偏向報道、そしてインターネットで流れる出所不明の摩訶不思議ネタまで。
特に去年の米国大統領選挙に大きな影響を与えたフェイクニュースであるが、これは多忙な米国人が何気なくテレビのテロップだけ観て「これはテレビ局のニュースである」「テレビニュースに嘘はない」と信じて引っかかっってしまった例であろう。
1970年代くらいまでであれば情報と言っても基本的には上から下へ制御された情報が降りていくだけだった。だから多くの人々は降りてきた情報のみを信じて行動した。一部の人々は上からの情報を読んで対策を作った。日本そのものが経済成長している時代はそれで良かった。
ところがインターネットが発達して世界の端っこの情報が瞬時に手元に入る時代になると情報の重さが変わった。
メディア各社が違う事を書き、テレビでは解説委員と呼ばれる人々がテレビだけを見る人に分かりやすく説明するようになり、これに対する地下反対意見としてインターネット言論が発達した。
こうなると市民は今までと違い自分で判断する必要があるがその判断力を持たないためにどのニュースを信じて良いか分からず右往左往することになる。
「それまで金科玉条としていたテレビ様がどうも何だか最近おかしい。大手新聞様も昔は大本営発表だけを横一列で掲載していたが最近は新聞ごとに言うことが違う。」
「おいおい真実は一つって言ってたのはあんたらテレビや新聞だろ?それが今になって“たくさんの見方がある”なんてんなら、最初から真実は一つなんて嘘言うなって話である。」となる。
しかしだからと言ってインターネット記事をそのまま信用するのもどうなのか?「地球がまもなくフォトンベルトに突入〜人間はより高い存在になれる」
これをまるで科学的学説のように書けばインターネット黎明の時代であれば人々は「えー!そんな事、誰も教えてくれなかった〜」とこのような新興宗教にハマる。
そして本人は今まで自分で情報を学ぶこともないまま生きてきたから結局情報弱者となり、周りに振り回され洗脳されて、まるでビリヤードの球のようにあっちに飛ばされこっちに弾かれ、時間をかけて毟られて、最後は骨と皮になっていく。
情報の大切さは今も昔も変わらない。それでも昔はある意味8割の人間と同じような動きをしていればよかった。ただ今の時代はそれだけでは弾かれ食われてしまう。
現代の方が情報が多様化して来ておりその分判断材料は増えた。そして今度は材料が増えすぎてどれが正解なのか分からないという状態に陥った。
しかし今の時代、情報は「知らなくてよい」で済む時代ではなくなったのだ。「だって聴いてなかったんだもーん、学校でも教えてくれなかったしー」では通らない時代、自己責任の時代なのだ。
ではそんな時代をどうやって生きていくか?
まずは歴史と教養を学ぶことである。誰かが大きな声を出したからと言っても間違いは間違いである。自分の頭で冷静になって考えること、その時に歴史的に同じような時期がなかったかを考える。次に健全な疑問を持つための教養を持つこと。
ラジオニュースで「火星人襲来!」と言われて真に受けたのは1938年の米国である。少し考えれば分かる事なのだが周りが騒ぐからどうしても自分を抑えることが出来ない。その結果として「助けて!火星人が近づいてる!熱い!」等と消防に電話したりする。
これはHGウェルズのSF小説を脚本してニュースのように仕立てて大当たりしたラジオ番組なのだが、火星人が襲来するなら同時に何が起こるか、それが起こっているか、それだけを考えてチェックするだけでこれが良く出来たラジオ番組だなと分かって安心して聴ける。
そうでない人は自分の無教養を棚に上げて周囲が騒いでるから自分も騒ぐとかまさに「火星人に襲来」されて真夜中までパニクっている。
フェイクニュースも火星人襲来と同じレベルであり、日頃歴史を勉強して少しでも政治記事を読むようにしていれば分かる事である。
洋の東西を問わず個人が生きるには歴史と教養をまず身につけるところからだろう。