2018年07月11日

和製英語



僕が30年前にクイーンズタウンの町中のバスデポでマウントクックのガイドとして働いてた時のことだ。

当時のクイーンズタウンであるから運転手は皆農家上がりでトラクターやダンプ代わりに観光バスを運転していたから元気は良いけど荒い。

今では信じられないだろうけど北から飛んできた小型機が空港に着陸するのを観て、それからおもむろにバスを出していたものだ。

僕はそういう荒くれ社員に対して時々「ねえ、次の到着便は日本人グループで、皆クライストチャーチで買ったキャンディー持ってるよ」とやると、ビールと甘いものに目がないキーウィ運転手はいきなり立ち上がって「よっしゃー!」と飛行機がまだ空を飛んでる間にバスデポを出てくれた。

当時はデポからフランクトン空港まで15分程度。これなら飛行機が着陸して荷物を取る頃にはバスが待っているとなる。

まあ何だかのんびりした街でひとりだけ走り回ってた気がするが、ある時運転手待合室に行くとそこにはコーヒーや紅茶が無料で飲めるのだが、壁に張り紙をしている。 “Ok, you don’t smoke, I won’t fart” 「よし、君はタバコを吸わない、僕はおならをしない」

当時から禁煙活動が盛んだったのは良くわかったが、まさに「こうきたか!」である。

 しかし西洋諸国ではもっとお笑いな例がある。北欧のある国ではFartは速度を意味して高速道路を走っているとFart Controlとサインが出ている。英語圏からレンタカーでやって来たご家族はお子様に対して何と説明するのやら。

上品な日本ではこのような事はあまりないけど英語の元々の語彙を少し勘違いして使っている場合がある。

例えばチャンス。これは日本では好機と捉えた使い方をすることが多い。「さあチャンスです!行きましょう!」 けどチャンスChanceの元々の意味は決して好機だけではなくあまり良くない様子を表す時に使う。

チャレンジはもっと明快で、日本では挑戦という何となく格好良い文脈で使われるけど、英語では自分に向かってくるものと戦うとか相手に決闘を挑むとか、比較的一か八かの挑戦というイメージが強い。裁判で相手に訴える時に使うのもこのチャレンジである。

ここまでは言葉のお笑いであるが、僕がどうしても馴染めないのが和製英語である。

特に「コスパ」が流行し始めた時は「普通に費用対効果と言えば?」と思っていた。和製英語を並べることが格好良いとでも本気で信じているなら相当なバカだし和製英語を作り出すことを「ブンカ!」とでも思っているなら絶筆しろ、である。

さらにアラサー、アラフォー等の和製英語が日本で流行り始めて、それがあっという間に下々の権威信者に盲信されていった時は本当にびっくりしたものだ。宗教はこうやって信者を増やしていくのだと思った。

この2つはまず日本語として響きが悪い。「アラ」は掛け声でもあるし「サー」もエッサッサーの掛け声にしか聞こえない。つまり意味がどうこう以前に発音として下品なのだ。 それがどうして分からないのか?

日本で基礎教育を受けたなら分かりそうなものだが、どうも基礎教育を受けた様子がない。 さらにその意味は30代、40代であり、元々の日本語として十分に使える言葉である。それを何故英語をしないといけないのか?素敵な30代、魅惑的な40代、それで十分に通る。

もちろん良い和製英語があるのは否定しない。日本語では形容出来ない表現もある。しかしそれが粗製乱造の理由として使われるのは納得出来ない。

つまり「あらさー」とかって、発音としても響きが悪く意味としても無意味であり結局昔からの日本語を殺しているだけだ。

「よし、僕は和製英語を使わない、君は和製英語を作らない」

そういう気持ちを持とうよ、せっかく日本に住んでいるのだから。


tom_eastwind at 06:51│Comments(0)

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