2018年07月15日

久大本線




去年の大雨で鉄橋が流された久大本線では不定期運行が続いていたが本日再開とのこと。

 

ただなー、久大本線ってのは今は由布院をベースにして格好良い路線だけど僕が高校生の頃にはぶん殴り本線だった。

 

毎朝由布院を出る時は優秀な高校生が乗るのだが途中から不良が続々と乗り込み、コイツラが客車ではなく貨車で毎朝喧嘩ばかりしている。大分駅に到着する時でその日の決着を付ける。

 

とにかく完璧に隔離された貨車であり鉄道員もいちいち相手にしていないから不良の帝国である。ただ彼らの帝国は自由出勤なので喧嘩したくなかったら客車に乗れば良いだけだ。

 

高校生の頃にある授業でセンセイが「おい、日本で一番儲かってる鉄道路線を知っているか?」と生徒に聴いた。答は当然「新幹線!」と返ると思ったら生徒の一人が大声で「久大本線!」

 

大笑いであるがすごく受けた。そこ、思い切り赤字路線だし。

 

そう、大分から由布院と言えば「え?毎日そんな田舎まで帰るんだ〜」と感じてた。けど由布院は一つの街でありクリーニング屋とか食堂とか職場を移しようがないビジネスを経営していれば子供だって毎日由布院に帰るしかない。

 

大分の進学校で勉強して良い高校、そして東京や九州の良い大学に通う為には必要な教育を受けること。そのためには1時間の通学は問題ではない。

 

実際に由布院から来てた学生は頭良かったな。なんつか、明るくて利発だ。そして自分で考えることが出来た。

 

そうやって由布院から来た学生は良く勉強して途中で乗り込む不良共は喧嘩三昧である。

 

当時の大分は新日鉄が進出して大きな団地がいくつも出来て大都市。別府も観光客で賑わった。杉の井温泉、白菊、当時の別府では大きな旅館の鍵を持っていればキャッシュ不要である。今で言うエフトポスのようなものだ。部屋の鍵で全ての付けが効くのだ。

 

ところが今では大分の都町も別府温泉も落ち込み、由布院が全盛である。全く時代は都市を動かす。

 

久大本線、懐かしいな。また乗りたいな。けど今は海を越えた外国に住んでるので余程時期を合わせないと乗れないな。

 

それにしても昭和の当時の大分は魚に名前があった時代、喧嘩に節度があった時代、のんびりした時代だったな。



tom_eastwind at 08:12│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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