2018年09月05日
使えない英語
日本では戦後GHQの指導にもより教育に英語が加わった。米国としては日本を英語の通じる国にしたいと思い文部省に命令した。
文部省としては面白くないし、けど正面からNOとは言えない。そこで思いついたのが「使えない英語」
「京の五条のOn the Bridge, 長い刀の弁慶がCome here comer と手を叩く」等と訳の分からん日本語英語を教えて読み書きでは「ここでB動詞がこう変化してな」と、実際の英語現場では殆ど意識されていない事に焦点を絞り英語を試験の点数にすることで実用化を防ぐ。
発音や聞き取りに至っては更にひどく、全く通用しない英語にしてしまった。
この「使えない英語」政策の目的の第一は日本人が米国人と自由に会話できるようになると今まで日本政府がやってたぼろが出る。ぼろがばれると反政府運動になる。そりゃまずい、であろう。
戦後もある程度日本が豊かになるまで海外旅行は禁止だった。だってそうだろう、ついこの前まで戦争してた人々の家にはプールがありBBQを楽しめる。そんなもん観たら戦時中の「欲しがりません勝つまでは!」という掛け声が如何に虚しかったかがわかる。
米国から入ってくる映画はどれも格好よい。カサブランカなど戦争やってる最中に作ったのかって、戦争相手である日本人からすればがっかりである。
それも英語をまともに聴き取れないから「字幕」で対応するしかない。ただこの頃の翻訳は文学レベルが高かった。
「昨日は何してたの?」
「そんな昔のことは覚えちゃいねえよ」
「明日は何するの?」
「そんな先のこと、思いもつかないぜ」
これは格好良い。ただし映画を観る方はあくまでも字幕頼り。
今の日本の英語教育現場ではどのように指導しているのだろうか。
tom_eastwind at 23:05│Comments(0)│
│諸行無常のビジネス日誌