2018年09月09日
山椒魚
今日も北大路魯山人の話だが、明治から昭和中期にかけては食事が随分自由だったようだ。弁当持参もあれば職場近くの蕎麦やうどんで間に合わせる。
その中でも北大路魯山人のような人は常に美食を求めた。昭和中期に大阪から中国地方に行った時に知り合いが山椒魚を獲ったという。四足のゲテモノであるが魯山人はとにかく何でも食わないと納得しない。
実際に自分で包丁を握って山椒魚の腹を割くとそこから山椒の香りが家中に広がり実に香味である。それから鍋に出来るように捌くのだが、ここは魯山人の得意技、下手な料理人には真似が出来ない。
その後山椒魚を煮て鍋にするのだが、これも時間がかかる。美味しいところを狙ったらお客の来る昼前から調理を開始するが美食家と言うのは調理を観たい。
だから昼前に来てもらって調理を観てもらい実際に食事するのは午後遅くとなる。
つまり彼らにとって美食であれば何時から何時までがお昼ご飯と言う発想がない。
いつも言うことだが昼12時になったから昼飯を食うというのは人間の摂理に合っていない。
職場によっては、例えば大工場などでは皆均一の動きをする必要があるから食事時間を合わせる必要が業務的にある。
しかしそうでない場所、つまり集団行動を必要としないや仕事場でも「12時だからお昼を食べる」と言うのはあまりに奴隷臭い。
12時だからといってお腹が空くのはもう脅迫意識ではないか。腹が減っていなければ12時だからと言って無理に食う必要はない。腹が減ってなければ食わない。腹が減っていれば11時30分に食事を開始する。
昼食難民と言うのも食事時間を自由化すれば随分と収まるのではないか。
tom_eastwind at 22:34│Comments(0)│
│諸行無常のビジネス日誌