2018年09月16日

観光客気分移民




以前から何度も書いてきた事だが、日本のような恵まれた国からニュージーランドに移住するとなれば要するに清水の舞台から飛び下りる覚悟が必要である。

 

なのに隣の芝生が青く見える人々はNZの良い面だけを観てNZに飛び降りる。

 

けど来てみると物価は高いし給料は安いし家賃払ったら貯金も出来ない。かと言って家を買う資金もない。

 

安いスーパーに行くが日本の食料品と比べて「豚肉は臭いし魚は不新鮮」と日本人主婦が固まり日本語で文句を並べ合う。

 

泥棒が多いと文句を言うが、ならば警察官を増員して税金を上げても良いのか?費用対効果を考えれば個人で保険に入っておけば良いだけである。

 

何かと言えば「日本はこうなのにー」と比較論ばかりする、しかしそこにNZの社会主義や国民性を学ぼうとする姿勢は全くない。

 

そして偉そうに「私はNZの教育、医療、仕事に疑問を感じて日本に帰国することにしました」とのたくる。

 

要するに事前の調査が甘く移住がどういう事なのかを真面目に考えず「きゃー!ここの自然は最高!」なんてやるから移住して日常生活に入ると様々な不満が出てくる。

 

可愛そうなのは子供だ。親の都合で連れて来られやっと現地に馴染んだと思えば日本に帰国。

 

移住とは本来自分の幸せではなく2世である子供のために行う行動だ。

 

戦前のハワイに移住した日本人一世はとうきび畑で朝から晩まで休みもなく働き、言葉も満足に通じず食べ物にも住むところにも納得してひたすら子育てをして、少ない賃金を貯金して子供の学費に充てた。そして子どもたちは立派に成長した。

 

今ホノルル空港が「ダニエル・イノウエ空港」と呼ばれているのは良く知られているが彼は日系二世部隊の一員として米国のために戦争に行った。

 

欧州戦線の激戦で最も多くの勲章を得たのは日系二世部隊である。とにかく死傷率が高く、ある時などはドイツ軍に包囲されたテキサス部隊を救出するために突撃、無事にテキサス部隊を包囲から抜け出させて米軍陣地に戻した。

 

その勇気を称えようと司令官が「日系二世部隊全員集合」とやった。ところが実際に集まったのは十数人。司令官が「私は休暇を許可していないぞ」というと部隊長は「これが現在動ける全ての人数です。残りは戦死または野戦病院行きです」と言い、司令官は返す言葉がなかった。

 

ダニエル・イノウエは最後の戦闘で片腕を吹き飛ばされながらも反撃した。

 

戦後ダニエル・イノウエは持ち前の賢さで弁護士になりその後ハワイ選出上院議員になる。日系二世という立場で両親の祖国である日本とも議員交流を行う。

 

米国上院議員として最も長く務め大統領が死んだ場合の序列3位にもなった。彼は両親が日本人でありながら米国に忠誠を誓い戦争で片腕を吹っ飛ばされ命を賭けて証明した。

 

ハワイが日本人の人気観光地になったのも彼の裏方での活躍がある。日本から観光客が来ればハワイが潤う。空港に到着した日本人をアロハダンスで満足させる品質を提供して地元に雇用を生み、温暖な気候が多くのハワイファンを生んだ。

 

その彼の死後、米国への功績を知る米国議会やハワイ州が「よっしゃ、ホノルル空港の名前をダニエル・イノウエ空港にしよう」と決めた。

 

まさに移民二世である。しかしその両親は船の片道切符で日本からハワイに渡り死ぬほど働いた人々である。豚肉が臭いとか魚が美味しくないとか、ましてや仕事に不満を言うこともなくとにかく朝から晩まで働いた。そしてその子どもたちは立派に成長した。

 

移住とは隣の芝生が青いからと観光客気分で来るものではない。



tom_eastwind at 21:47│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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