2018年09月17日
百貨店が百貨店に戻る
日経ビジネスで三越伊勢丹ホールディングス社長が全社的な改革を行うなかで、存在価値のない店は閉店する、松山のような好立地は中途半端な商品入れ替えではなくカフェやレストランなどで人々が一休み出来る場所を提供し同時に洋服ではなく地元名産物を集めての売り場にするなど大胆な発想で行動している。
その中で三越日本橋本店や伊勢丹新宿本店は改装に合わせて「中間価格帯は捨てる」とやった。
これが今回のホールディングスの判断である。今までのように中流を対象にしたハンドバッグや服はもう売れない。それはメルカリやゾゾタウンに確実に流れている。つまり中間価格帯は消滅したのだ。
ならば中途半端なPB商品などではなく世界で一流と呼ばれるブランドを誘致して、来店客が寛げるソファや椅子を増やし、更に店員が自分の売り場だけに固定するのではなく、来店客が店に入りあちこち見て回り店を出るまで接待する。
そう、それこそ本来の百貨店である。お金持ちだけを相手に高級なサービスを提供して顧客が思いもつかないような商品を提案して顧客は消費満足、店舗は利益確保が出来る。
元々僕は九州の田舎の生まれで東京の三越や伊勢丹なんて足を踏み込む機会もなかった。ただ江戸時代からの歴史として彼らは「高級な顧客を対象に高級なサービスを提供する」事で成長して来た。だから外商という言葉が存在する。スーパーマーケットに外商はいない。
今ちょうどイトーヨーカ堂とダイエーの短編小説を読んでいるが、その中にあるお客の本音が出ている。
「安いし、ほんとはここで買いたいんだけど人様にお渡しするものがイトーヨーカ堂ではまずいよね。ここで三越の紙袋、売ってくれないかしらねー。」
そう、百貨店は夢や希望や誇りの象徴なのだ。だからスーパーやメルカリと競争するのではなく元々の上客に戻る、それによってブランド価値が維持される。
僕は東京人ではないので三越や伊勢丹が東京人にとってどれだけのブランドなのか、歴史本や業界本また東京人が話すことを聴いて判断するしかないが、やはり相当なものだと思う。