2018年09月22日
栄養剤
魯山人の言うことはいちいち納得出来ることばかりである。
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カロリーとか栄養価とか、そんなもん子供と病人が気を付けていればいいだけで自立して生活する大人なら何を何時どれだけ食べたいか、自分で分かるはずだ。
ところが子供時代から集団生活に慣らされているから昼食時間になったから空腹かどうかに関係なく食う。若くして社会に出て新入社員として昼食を会社仲間と食べに行く時も「何食べるか?」と聴かれて「あ、何でもいいです」だったらそこに座って空気でも吸っておけである。
「じゃあ俺はこれを」というと「では私もそれを頂きます、あ、すみません、お姉さん注文!」。
人間には元々生存本能があり食事もその中に入っている。だから空腹になれば自然と食べたい食材が見えてくる。だから素直にそのまま食べれば良い。学校給食と会社組織の二重の縛りで正しい食べ物が自分で分からなくなっているのだ。
また当時は料理研究家とかフードコーディネーターと自称する人々もいて困ったものであった。あんなもん資格が不要であるから料理が出来る人が思いついてテレビやラジオに出演して一顰一笑してその日の銭を稼ぐ。
迷惑なのは視聴者である。テレビ様やラジオ様に言われたように調理するが、そんなもん本来自分の体の食べたいもんではないのにすぐにメディアに影響されて調理して夕食のおかずにしてしまう。
料理を教えるのに、すぐ塩何グラム砂糖何グラムとか言うが、だったらその後に刻みネギ少々とか塩コショウは自分のお好みでなんか言うな。
テレビに出た料理、学校集団教育、サラリーマン集団生活、とにかく今の世の中は自分の食事に関する生存本能をすり潰されている。
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どれも正論である。
腹が減ったから食う。食べたいものは自然と頭に浮かぶ。出来れば料理は食材の素のままで食べるほうが良い。美食などと称して刺し身にごちゃごちゃと手をかけるのは不味くしているだけだ・
魯山人だからこそ料理の原点から現在の料理のあり方にまで論点整理して読者に強烈なパンチを打ち込んでくるのだ。
打ち込む相手は当時の財閥の自称美食家とかで「今の季節はどこそこのからすみが美味い」と言うが、では自宅によく切れる包丁や鰹節を薄く切る鉋を持っているのかと。
これからの時代、個性を持たないと流されるだけだ。まずは食べ物からでも自分が何時何を食べたいのか、それくらい分かるようにすれば健康が保たれる。栄養剤飲むよりよほど良い。