2018年09月25日

自らに由る




明治以来語られる自由だが、この書き込みを観ていると皆の意見が浮き草のようである。誰もが流されどっちつかず。

http://blogos.com/article/327153/forum/

 

自由を語る時にその日本語の意味とか中にはインドの宗教引っ張り出してどうこういってるが全く収まりがつかない。

 

僕が小学校の時に先生に「自由とは何か?」と聴かれて僕は「自分で判断してその結果に責任を取る事です」と答えたら先生、呆れたようなため息をついて「違うんだよ、自由とは自分勝手という事なんだよ、な、他の生徒はそう思うだろう」というと他の生徒は揃って「はい!」と言う。自由の潰された時代である。

 

自由が自分勝手となるのが現代の日本の常識であろうが、自由とは明治時代に福沢諭吉らが英語を日本語に翻訳する際にLibertyをどう訳すかと考えて「自らに由る」と日本語にした。

 

だから自己責任思想のない人々からすればお上の言うことに盲従していればいいわけでそのお上が「いいか、自由とは自分勝手だぞ」と言われれば「ははー!」と頭を下げる。

 

江戸時代から始まり政府は「民は由らしむべし知らしむべからず」を徹底して独立した国民意識を徹底的に排除して来た。だから自由などという思想は悪なのである。

 

大体米国の考え方である自由をそのまま日本に導入しても日本人自身が理解出来ない。

 

自らが自分の判断で動きそれで周囲と軋轢を起こせばそれは本人の責任。そこで方向転換するか自分の考えを貫くか、それは自分で判断して結果に責任を取る。

 

それだけの事なのだが日本の学校教育で優秀な成績を残すような子供はとにかく先生の言うことがすべてである。だから先生が「自由はわがまま、自分勝手」と言えば子どもたちは無条件に復唱する「自由はわがまま、自分勝手」。

まるでどこかの共産主義国家である。



tom_eastwind at 11:52│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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