2018年10月11日
佐々淳行氏死去
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初代内閣安全保障室長を務めた佐々淳行氏が2018年10月10日に死去した。享年87歳。各メディアが報じた。
1954年に警察庁(当時は国家地方警察本部)に入庁、72年のあさま山荘事件では指揮を執った。86年に初代内閣安全保障室長に就任、89年に昭和天皇の「大喪の礼」において警備を担当した。退官後は多くの著作を発表、2002年には「突入せよ! あさま山荘事件」として映画化され、本人役を役所広司さんが演じている。NPO法人総合危機マネジメント協会の会長・理事なども務めた。
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そっか、佐々淳行氏が亡くなったか。彼の人生の教師である後藤田からすれば「おい、俺は90過ぎまで生きてて肺がん、お前は老衰って、体鍛えてないな」と笑われそうである。
実際この二人のコンビは日本警察の警備保障を根本から作り変えた。佐々淳行氏は警備の要を様々な観点から観ていたが、香港警察に研修に行った時に当時よく起こるデモの取締を観ているとふと気づいた事があった。
警察側はデモ隊よりも強い武器を持たない。基本的に彼らを解散させるための話し合いを行う。そして必要ならキーパーソンを逮捕する。
当時の日本ではデモ等の行動は反政府勢力であり徹底的に叩き潰せのような風潮があった。特高の名残りであろう。
しかしそんな事をしてもデモ隊との問題解決には繋がらない。
西洋式武装と思想を学び日本に戻り日本の警備とはどうあるべきかを構築していったその背景にはもちろん何時も後藤田長官がいた。
あさま山荘事件では警察に被害者を出しながらも大型住宅破壊車の大きなボールで山荘の横っ腹に穴を開けて救出部隊を送り込み人質を奪還した。これなど実に勇敢な判断である。
佐々淳行氏の本は5冊くらい持っているが、どれも地に足の着いた文体でありすべての本から学べるものがあり、逆に言えば警察の他の人間の伝統的常識である「ひらめ」からすればいちいちカチンと来る人物だったろう。
良い人物の死は寂しいものであるが誰にも寿命はある、冥福を祈る。