2018年12月05日
出戻り社員
昭和の日本の大手企業では卒業後一旦会社に就職すると永久就職であり定年まで転職は例外である。会社を辞めて転職するというのはそこに残る社員からすれば「裏切り」であった。
転職がある程度社会に受け入れられるようになったのはバブル崩壊後に成果主義などが導入されてからだ。
それまでの日本社会では会社主催の運動会というのがあった。社員とその家族を呼んで秋の天気の良い時期に小学校の校庭などを借り切って大きなテントを張り一日中賑やかにやる。これは会社経費。
目的は永久就職をした社員同士に仲間意識をもたせ更にその家族が自分の旦那の働いている会社を知ってもらうためであった。
もちろんこれはある程度の規模の会社でないと開催出来ないが、中小企業でも花見や飲み会などで社員と会社、そして家族との繋がりを強める事で労働力の強化を図った。
これ以外にも会社主催の慰安旅行があった。土曜日の午後から社員が大型バスに乗り温泉地に行き、そこでは社員が一緒に大浴場に入りその後の宴会は無礼講、いわゆるどんちゃん騒ぎ。翌日の日曜日に観光したりゴルフに行ったりして昼頃食事をしてバスで会社に戻るのだけど、こういうのも基本的に会社経費だ。
こういう習慣が急激に減ったのもバブル崩壊と働き方の変化で社員が途中退社することが普通になったからだ。運動会も慰安旅行も社員引き止めが一つの目的であり社会が変化する中ではその存在価値が薄れてしまった。
社員は慰安旅行に行くよりもその費用を現金で欲しいとか運動会に参加するなら残業手当は付くのかと言い出した。そして人々は会社を去った。
そして成果主義が日本に上手く導入出来ないまま、古き日本のやり方が見直されるようになった。少しづつだが運動会が企業に導入されるようになったのだ。
やはり日本人は村社会で生まれ育っており英米人のように一人で生きていくよりも仲間と一緒に長く働くほうがいい、そう考える人々が経験値をもとにして自分が働いていた会社に戻るようになった。
これは勿論帰巣本能だけではなく、昔の会社の方が今の自分のやりたい事を実現できる、そう考える成長本能もあるし好奇心もあるだろう。
ただ、1980年代の慰安旅行や運動会が時の流れで消え去ったように、2010年代から時の流れが変化して、また人々が昔働いていた会社に戻るようになった。
まさに出戻りであるが1980年代と違い、昔働いていた会社の社員は出戻りを受け入れるようになった。今ではもう「裏切り者」ではないのだ。時代とともに働き方の価値観は変化する。