2019年01月01日

テロの時代

西洋の話ではない、日本の話である。101日の原宿でまた無差別テロが起こった。

 

これは数年前から指摘していることだが日本のテロは秋葉原事件あたりから若者の日本社会に対する絶対的不満から発生している。

 

戦後の日本は長い間人々がほぼ平等に生活して来た。今の若者もそういう話をを聴いて育ってきた。

 

しかし実際に自分の先輩や自分自身が社会に出てみるとそこではほんの一部の若者と多くの老人が社会生活を享受しているだけでそれ以外の多くの若者は正社員になれず安定した仕事につけず、結局差別社会の底辺に押し込まれたことに気づく。

 

昔であれば若者が社会に出れば最初は給料が安くても一生懸命働いていればそのうち昇給して結婚も出来て自宅を買い部下も出来て60歳になれば退職金を貰って悠々自適な生活が出来るはずで、それが社会契約だと無言の契約が出来ていた。

 

それがいつの間にか社会から一方的に契約破棄されて、人生100年の時代だと言うのに今が20代でこれから70年も誰か成功者の為に自分がまるで彼らの目に入らない幽霊のように尽くしていかなければいけない。

 

一体こんな人生って何だ?社会に出た時点から死ぬまでの道が見えてて、それが真っ暗と言うなら何で日本の法律を真面目に守って生きていく意味がある?

 

それよりは今ここで人をぶっ殺して、あとは屋根付き3食付きの刑務所で過ごすほうが余程気楽で良い、そう考える人間が激増してもなんの不思議もない。

 

そう、日本が二極化すれば平等は消え去り一部の成功者と多くの「そうでない人々」との食べ物や命の奪い合いになるのは何時の時代も同様なのだ。

 

戦後の日本は成長期においても人々の平等を重視してきたから犯罪が少なかった。何も日本人の特性ではなかったのだ。

 

これからの日本で起こるのは急激な治安環境の悪化である。

 

街を歩いていても何時テロの対象となるか分からない。自宅でじっとテレビを見ていても何時誰に狙われて夜中に忍び込まれるか分からない。

 

今までは「まさか私が?」と思っていた事が、そうまさに現実になるのだ。

 

今回の竹下通り事件は単発ではない。まさに始まりなのだと考えた方が良い。なぜならこれは今の日本の差別社会に対するテロリストの抵抗でありこれからも日本が二極化する限り止まることはないからである。



tom_eastwind at 12:08│Comments(0) 諸行無常のビジネス日誌 

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